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引退競走馬:「サラブレッドの魅力を知ってほしい」G1馬・ウィットモアが大変身、引退競走馬のポテンシャルを引き出す新しいキャリア

2020年の全米最優秀短距離牡馬、ウィットモア。彼は気難しい競走馬として有名だったが、引退後は優秀な競技馬へと変身した。競走馬を引退したサラブレッドの魅力、アメリカの引退競走馬支援の実情について、最前線で働く人々の証言を交えながら迫る。

引退競走馬:「サラブレッドの魅力を知ってほしい」G1馬・ウィットモアが大変身、引退競走馬のポテンシャルを引き出す新しいキャリア

2020年の全米最優秀短距離牡馬、ウィットモア。彼は気難しい競走馬として有名だったが、引退後は優秀な競技馬へと変身した。競走馬を引退したサラブレッドの魅力、アメリカの引退競走馬支援の実情について、最前線で働く人々の証言を交えながら迫る。

彼のかつての姿を知らなければ、激しい気性が求められるスポーツの王者だったと想像する人はいないだろう。

2022年、アメリカ・ケンタッキー州のレキシントンで開催された、リタイアード・レースホース・プロジェクトによるイベント、「サラブレッド・メイクオーバー」で一頭の栗毛の騸馬がパフォーマンスを行っていた。

わずか2年前の2020年、キーンランドのG1・BCスプリントを優勝し、アメリカの最優秀短距離牡馬に輝いた馬だ。そう、彼はロン・モケット厩舎のウィットモアである。まさに競走馬向きという性格だったが、たびたび見せる奇行や我の強い側面から競馬界の悪童としても親しまれていた。

しかし、引退から1年足らずで大変身を見せ、競技会のプロフェッショナルのように振る舞っていた。

ウエスタンスタイルの馬具を身に着け、木製の橋や地面のポールの上を落ち着いて歩き、騎乗者が振った旗が頭をかすめた時も平然と振る舞っていた。こうして、ウエスタン競技のトレイルでデビューした。

(補足:トレイル競技こと「Competitive Trail」は、コース上の置かれた障害物や地形の上を歩き、時間内にいかに落ち着いて乗り越えることができたかを競うウエスタン馬術競技の一部門)

WHITMORE / Video by Kentucky HBPA

ウィットモアの大変身

トレセンにいた頃のウィットモアは、乗馬の世界の人が抱く、競走馬へのステレオタイプを体現したような馬だった。爆発的なスピードを持つが、制御は難しいというイメージだ。

このような理由から、彼の関係者は競走馬としての日々を終えた後も、本来の持ち味を活かせる業界への転身を望んでいた。

「サラブレッドの代表として振る舞った今日の彼を、誇りに思います」

ウィットモアは、競技デビュー初戦で43頭中の9位という上位に入った。調教師でもあり、共同所有者として馬主の一人であったモケットはこう語る。

「私たちが(トレイル競技への転向を)やりたかった理由が、まさにこれです。この馬が素晴らしい存在で、競馬場の中だけでなく、どんなことにおいても素晴らしいという事実をみんなに知ってもらいたかったのです」

Whitmore wins the G1 Breeders' Cup Sprint
WHITMORE / G1 Breeders’ Cup Sprint // Keeneland /// 2020 //// Photo by Horsephotos

引退競走馬のアフターケア、具体的には競走馬としてのキャリアに関係なく、生涯を通じて馬の福祉を大事にするという使命は、過去20年間に渡って競馬界で大きなテーマだった。オーストラリア、ヨーロッパ、香港ジョッキークラブは、引退競走馬のケアや繋養先、リトレーニング(乗馬用の再訓練)の制度化を進めてきたが、今問題になっているのがアメリカだ。ここ数年、競馬の社会的な責任に対する風当たりが強まっている。

サラブレッドアフターケアアライアンス(Thoroughbred Aftercare Alliance、TAA)は2012年に設立されたケンタッキー州を拠点とする非営利団体で、功労馬施設の認定、検査、助成金の交付を行っている。

アメリカには他にも、ニューヴァケーションズ(New Vocations)、セカンドストライド(Second Stride)、そして先述のリタイアード・レースホース・プロジェクト(Retired Racehorse Project、RRP)といった団体があり、いずれも元競走馬の新しいキャリアを支援している。これらは努力と苦労を惜しまない現場の人々の頑張りによって成り立っているが、彼らの努力は引退競走馬の活躍によって報われている。

引退競走馬の転身先としては、総合馬術、障害飛越、馬場馬術、ハンター競技(馬術競技の一種)が知られている一方で、ロデオ競技のバレルレースやポロ、ウィットモアのようにトレイル競技で活躍する馬もいる。サラブレッドはその高い運動能力と知性から、様々な競技に対応することができる。

引退競走馬が持っている”魅力”

引退競走馬に接する人々は、競馬場で鍛えられた経験とその特性が、新しいキャリアでの活躍に繋がっていると言う。

「馬術競技の世界でも、競走馬時代の経験は活きています。調教を通じてトレーニングへの姿勢が身についており、練習を楽しみ、日々のルーティンをこなし、人間とパートナーを組んで努力することができます」

そう語るのは、かつてRRPのエグゼクティブ・ディレクターを勤めた、ジェン・ロイツ氏だ。ケンタッキー州ヴァーセイルズにあるブラウンステッドファームの共同オーナーとしても知られている。ここでは、競走馬の生産に加えて引退競走馬の再調教も行っている。

「何かをしようという意欲が既に備わっています。競走馬時代の経験がこの世界で活きるケースですが、輸送への耐性はその一つです。各地の競馬場に連れて行かれるので、輸送慣れしています。また、目新しいことに対しても、すぐに慣れてくれるのも特徴の一つです」

「もう一つ、元競走馬の好きな点を挙げるとすれば、持ち前の前進気勢です。それ以外の馬だと、前に進まなかったり、後ずさりしてしまうことがあります。競走馬の前進気勢というのは、大きなアドバンテージです。というのも、乗馬の世界で馬に最初に教えるのは『前に進むこと』だからです。まず最初にこれができないと、他のことを教えられないですからね」

引退競走馬の多くは、騒音にも慣れている。競馬場はその性質上、観客の声や雑音が飛び交っており、群衆や騒音に慣れた状態で新しいキャリアに臨める。

『今日も調教やレースが待っている』という元競走馬特有のマインドセットを抜け出すことに最初は苦労するかもしれないが、絶え間ないトレーニングで培われたその経験は、即戦力として競技で活躍する素質へと繋がっている。

馬術競技への転身で成功した例というと、2008年のG1・プリークネスSで3着に入ったイカバッドクレーン(Icabad Crane)の名前が挙げられる。グラハム・モーション調教師の管理馬だ。

2013年に競走馬を引退すると、馬術競技選手のフィリップ・ダットン氏が新しいパートナーとなった。彼はオーストラリア代表(後にアメリカに帰化)として、1996年と2000年のオリンピックで総合馬術団体の金メダルを獲得している。

イカバッドクレーンは馬術競技に転向して1年もしないうちに、サラブレッドメイクオーバーの『Most Wanted Thoroughbred(最も求められているサラブレッド賞)』にファン投票で選ばれた。最終的には、CCI2*部門に出場できるようにまでなっていた。

ICABAD CRANE / Video by Retired Racehorse Project

「フィリップや、ボイド・マーティン(オリンピック出場の馬術選手)と一緒に仕事した経験から言うと、元競走馬のスタミナはとても好まれていますね」

グラハム・モーション調教師はそう語る。妻のアニタと共に、アメリカの引退馬支援における第一人者だ。

「スピードが無いと思われている馬は、単純に競走馬の仕事が向いていないだけの可能性があります。そんな遅い馬だとしても、クロスカントリーコースで走らせると、とんでもない持久力を発揮するケースがあります」

「多くの馬は、トレセンでの厳しい鍛錬の日々を離れて放牧に出されると、本当に落ち着きます。中には本当に落ち着いてくれるのか心配になる馬もいますが、ここを離れた馬の90%は別馬のように変わります。フィリップもボイドも、サラブレッドの素質と魅力を理解してくれているんだと思います」

レースで競り合いになるたびに燃え上がる競走馬のハートは、引退後のキャリアでも役立つことがある。自然の障害物を飛び越えたり、連続して障害物が置かれているコースを走るには、学びでは得られない『勇敢さ』が必要になる。

先述の馬術金メダリスト、ダットンはこう語る。

「サラブレッドは生まれつきの勇敢さを兼ね備えています。ライダーが促したり勢いをつける必要は無く、むしろ自分から跳ぼうとしてくれます。一方、冷血種(ブルトンやペルシュロンのような大柄な馬)はゆっくりで、なかなか動かすのが大変なことがあります。そのため、サラブレッドは初心者向きとも言えます」

Brownstead Farm, Kentucky
Brownstead Farm, Versailles, Kentucky / Photo by Jen Roytz

広がる支援の輪

引退馬支援の輪が広まってきたこともあり、『元競走馬のサラブレッド』の評判は年々高まりつつある。様々な分野の愛好家が、信頼できるパートナーとしてサラブレッドを選んでくれるようになってきた。

トップレベルでの活躍馬だと、競走馬時代に43回の出走経験を持ち、2024年のディフェンダー・ケンタッキー・スリーデイ・イベントで6位入賞を果たしたソロカイマ(Sorocaima)のような馬がいる。この大会は、世界で7つしか存在しないFEI CCI5スターイベントの一つに指定されている。

しかし、引退競走馬の主な活躍先は、アマチュアの馬術競技だ。

引退競走馬は馬術用の競技馬に比べて購入費用が安く済むだけでなく、サラブレッドインセンティブプログラムのような支援制度も魅力の一つだ。これは、2011年に北米ジョッキークラブが設立した制度で、引退競走馬向けの大会で報奨金を出すなどの活動を行っている。

「馬術家がサラブレッドを購入しやすくするためのシステムです。これによって競技会でより高い賞金が手に入るだけでなく、引退競走馬が参加できる大会も増えます」

引退競走馬の支援に長年携わる、ロイツはこう説明してくれた。

競馬場で走る競走馬の多くは、繁殖馬以外の第二のキャリアを送ることになる。引退競走馬の支援が難しい活動であることには変わりないが、ありがたいことに『サラブレッドは万能アスリート』という認識は業界内で広まりつつある。

「良い意味で万能、それがサラブレッドです」

ウィットモアの調教師、ロン・モケットはこう語っていた。

「人々にサラブレッドの良さを知ってもらい、新しい愛馬を探している人に、引退競走馬と出会ってほしい。私たちがサラブレッドを気に入っているように、きっとお気に入りの存在になるだろうと色々な人に広めたいのです。あなたもきっと、サラブレッドを愛して追いかけ続けるクレイジーな人になってくれるはずです」

アリシア・ヒューズ、競馬や馬事文化に関する出版物に30年以上携わっており、受賞歴もある、作家兼ジャーナリスト。ケンタッキー州レキシントンに在住で、レキシントン・ヘラルド・リーダー紙の主任競馬記者、ブラッド・ホースのレーシングエディター、全米サラブレッド競馬協会の広報責任者などを歴任した。2016年から2018年までの間、全米競馬記者協会の会長も務めている。

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