2025年、マイウィッシュは香港ダービーの頂点に立つことは叶わなかった。しかし、その小柄な体に強靱なハートを宿した小さな巨人は、最後方から猛烈に追い上げ、カップフェラにアタマ差まで迫るという、このレースでもっとも驚異的なパフォーマンスを見せた。
そして、このパフォーマンスは数字上でも新記録であった。シャティン競馬場でのラスト400m区間の最速記録を、マイウィッシュが更新したのだ。
2008年4月にセクションごとのラップタイム計測が導入されて以降、これまでの最速タイムは2011年のQE2世カップでアンビシャスドラゴンに次ぐ2着に入ったカリフォルニアメモリーの記録だったが、マイウィッシュのラスト2ハロンはこれよりも0.03秒速い、21.39秒だった。
『負けてなお強し』のカリフォルニアメモリーとマイウィッシュには、もう一つの共通点がある。2010年以降、香港で出走した馬の中で平均馬体重が1000ポンド(454kg)を下回る馬はわずか3%に過ぎないが、この2頭はその3%の中に含まれるのだ。
(訳者注:香港ダービーでのマイウィッシュの馬体重は989ポンド = 448キロ)
香港と日本ではレース前の馬体重が公表される。世界中の多くの国では、パドックで歩く姿を見てファンが目視で見定めている馬体重だが、馬券大国として多額の売上を誇るこの2カ国では、この数字が大きな鍵となっている。
過去15年間に香港で出走した競走馬、約8000頭のデータに基づいて算出した数字によると、『香港馬の平均馬体重』は1113ポンド(505kg)という結果になる。
2000年以降に香港で出走した競走馬の中でもっとも小柄だった馬は、2003年の香港ヴァーズを制したフランスの牝馬、ヴァレーアンシャンテだ。その際の馬体重はわずか813ポンド(369kg)だった。
対照的にもっとも馬体重が重かった馬は、オールウェザーのマイル戦を得意としていたランデスラン。キャリア全体を通じての平均馬体重は1416ポンド(642kg)だったが、レース前の最高馬体重は驚異の1503ポンド(682kg)を記録したことがある。
香港のバイヤーは伝統的に、馬体が大柄で成長の余地がありそうな晩成馬を重視している。特に、南半球産のパワフルな短距離馬は人気が高い。かつて香港で活躍したトニー・ミラード元調教師は、ハンデ戦が中心の香港競馬は体格が大きい馬の方が有利だと持論を述べている。
いずれにせよ、特に大柄な巨漢馬や小さすぎる馬は、ファンの間で熱狂的な人気を集めがちだ。
最近引退が発表されたメロディーレーンはJRA最軽量級の小柄な馬体で頑張る姿が話題を呼び、競馬ファンの間でアイドル的な人気を博した。引退までにG1レースに8回挑戦したこの馬は、もっとも軽かったときの馬体重が741ポンド(336kg)だった。
メロディーレーンは歌やインスタグラムのファンアカウントが作られたほか、北海道の馬産地にある静内エクリプスホテルではコラボルームまで用意され、人々から幅広く愛された。

多くの国では馬体重が公式に計測される機会はないが、時折なんらかのタイミングで数字が明らかになることがある。たとえば、カナダで生まれた20世紀を代表する名種牡馬、ノーザンダンサーは1964年のケンタッキーダービー出走時の馬体重が知られている。その数字は940ポンド、わずか426kgという軽さだった。
よくマーク・トウェインの名言だと誤解されがちだが、アメリカのことわざにこんな言葉がある。
「勝負の決め手は闘犬の大きさじゃない、闘争心の大きさだ」
競走馬の場合、体の大きさが勝負の決め手となる場合はたしかにある。1988年のメルボルンカップ、追い込んできたナツキは尻尾が先にゴールラインを超えたため、態勢有利かのように見えた。しかし、肝心の鼻先が先に出ていたのは逃げ粘っていた方の馬、大柄な牝馬のエンパイアローズだった。
マイウィッシュがもう少し大きい馬だったら、香港ダービーでは写真判定の末にハナ差で制していたかもしれない。だが、この馬体重でなければ、あの強烈な末脚を繰り出すことはできなかった可能性も捨てきれない。
どちらにせよ、マイウィッシュが持っているのは馬体ではなく『闘争心』の大きさだ。マーク・ニューナム調教師、馬主のアダ・チェ氏、スキ・タン氏、ルビー・フイ氏の陣営にとって、今後もワクワクするような瞬間が待ち受けていることは確かだろう。