試練を乗り越えたイギリスのカール・バーク調教師、大物馬主と共にさらなる高みへ
中東の大物馬主たちが、スピゴットロッジ調教場を拠点とするカール・バーク調教師を新たなステージへと押し上げている。彼の調教師キャリアは決して一筋縄ではなく、数々の試練と成功の積み重ねで築かれてきた。
ホリンズと呼ばれる坂道を車で進むと、14%の勾配がエンジンに負荷をかける。ノースヨークシャーのウェンズリーデール渓谷の南側を上り、背後にはウレ川、目前には荒々しい稜線を西へと伸ばすペンヒルの堂々たる姿が広がる。
小さな森を抜け、上り坂が右へと急カーブする先にあるのがスピゴットロッジ調教場だ。ミドルハム高原の麓にひっそりと佇み、冬の厳しい風から守られたこの場所こそ、カール・バーク調教師の拠点だ。
61歳のバークにとってここは故郷で、ここ数年の成功はまさにこの坂道を登るがごとく上昇してきた。道中にはいくつかの紆余曲折もあったが、それでも彼は前進を続けてきた。2年前には大腸がんに見舞われた。
15年以上前にはイギリス競馬統括機構(BHA)によって調教師免許を剥奪され、約12年前にようやく復帰。その後、G1やクラシック制覇を果たし、今ではイギリス北部屈指の厩舎を率いる存在となっただけでなく、国際的にもその影響力を広げつつある。
「昨年は(がんの影響で)大変でした。でも、一度何かを奪われると、その価値がよくわかります。競馬に戻ってこられて本当にありがたいと思います」とバークは語る。
「身体の中で何が起きているかなんて、実際のところ誰にもわかりません。自分も定期検査で見つかるまでは全く気づきませんでした。今はとても元気ですし、検査の結果も問題ありません。だから、これからも前へ進み続けるだけです」
ドバイ遠征から戻ったばかりのバークは、G1・ジェベルハッタでロマンチックウォリアーの3着となったホロウェイボーイについて語りながら、厩舎のオフィスでデスクに腰掛ける。壁には過去の勝利を飾る写真がずらりと並ぶ。昨年は自己最高となる121勝を挙げ、ここ数年で4回目の100勝突破を達成した。
中東発の大物オーナーたち
「厩舎は139馬房あって、ほぼ満員の状態です」とバークは続ける。「2歳馬が80頭いて、血統的に見てこれまでで最も優れた馬が揃いました。見た目も申し分ありません。しかも、つい今朝、ジャバー・アブドラ氏の所有馬を5頭預かることになりました。これは初めてのことです」
「昨年8月の1歳馬セールでジャバーと会ったのですが、その後しばらく音沙汰がありませんでしたが、今年1月になって突然連絡が来て『5頭送り込む』と言われました。そして今朝、彼らが厩舎に到着したところです」

かつては、ニューマーケットの北部でアラブや中東系の有力馬を見つけることは難しかった時代があった。ましてや、カール・バークが拠点とするミドルハムやレイバーンではなおさらのことだった。
1985年のG1・アーリントンミリオンを制したテレプロンプターを管理していたビル・ワッツ調教師は、リッチモンドの厩舎でシェイク・モハメドの所有馬を数頭預かっていたものの、そこまで目立った成功は収めていなかった。
しかし、ミドルハムの隣人であるマーク・ジョンストン調教師が1990年代に台頭すると、マクトゥーム家やドバイを拠点とするオーナーたちは、次第にノースヨークシャーに関心を寄せるようになった。
それでも、ジョンストン厩舎以外のこの地域の厩舎に馬を預けるようになるまでには20年以上の時間がかかった。
近年では、シェイク・モハメド・オベイド・アル・マクトゥームが所有する、黄色地に黒の3つのドットが入った勝負服をまとった馬が、ノースヨークシャーの厩舎でも数を増やしている。特に、オーナーがニューマーケットのロジャー・ヴェリアン調教師との関係を解消して以降、その傾向が顕著になった。
2024年には、バーク厩舎だけでオバイド殿下の所有馬が27頭走り、そこから26勝を挙げた。中でも、ポエットマスターとアイスマックスがG2を制し、エリートステータスとロイヤルライムがG3を勝利。さらに、ロイヤルチャンピオン、ボルスター、キャビアハイツ、キューバンタイガーがステークス勝ちを収め、リバティレーンは名物競走であるケンブリッジシャーハンデキャップを制した。
「ドバイのオーナーたちは普段から一緒に過ごす時間が長いですし、一緒に競馬を観る機会も多いですので、一人が成功し始めるとそれが他の人々にも波及するのだと思います。それに、平地競走において『北と南の格差』なんて存在しないことも証明していますし、この地域の調教師や設備がニューマーケットと比べても遜色ないということが分かるはずです」とバークは語る。
「シェイク・モハメド・オバイドは、当時うちに馬を預けていた友人を通じて、ほぼ直接連絡をくれました。彼は基本的にエージェントを使わないですからね。マーク(ジョンストン調教師)が彼らのために多くの馬を調教しましたが、オーナーのエージェントはこれまでニューマーケット以外の選択肢をあまり考えてこなかったのかもしれません」
「でも、今はうちだけではなく、ケビン・ライアン調教師やリチャード・フェイヒー調教師の厩舎にも馬を預けています。ノースヨークシャー全体に、こうした動きが広がっています。そして今では、ワスナンレーシングもこの地域に多くの馬を預けるようになりましたよ」
カタール王室が手掛ける急成長中の世界的事業であるワスナンレーシングは、アミール(国家元首)であるシェイク・タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー殿下自身の支援を受け、すでにバーク厩舎で見事な成果を上げている。
「ワスナンのエージェントであるリチャード・ブラウン氏が、ちょうど1年前に『厩舎に売りに出せる古馬はいるか?』と聞いてきたんです」とバークは振り返る。
「そこで、ネイティブウォリアーなら売却可能だと伝え推薦しました。すると、彼はワスナンの所有馬として初戦を勝ち、ロイヤルアスコットでは3着に入りました。そして、ありがたいことに、その後ワスナンはブリーズアップセールで購入した馬を何頭かうちに送ってくれました。そのうちの2頭が、ロイヤルアスコットで勝ってくれたんです」
その2頭が、G2・ノーフォークステークスを制した牡馬のシェアホルダーと、G2・クイーンメアリーステークスを勝った牝馬のレオヴァンニだった。
「こういう運が必要なんです。ワスナンは多くのブリーズアップセール出身馬を買いましたし、他の厩舎に行った馬もいましたが、ありがたいことにうちにはシェアホルダーとレオヴァンニを送ってくれました」
その2頭は、昨年11月にデルマーで行われたブリーダーズカップにも出走したものの、本来の力を発揮できずに敗れた。その後、フィジカル面の問題が判明し、3歳シーズンに向けてニューマーケットで休養を取っている。
「おそらく、どちらも5月か6月ごろにならないとレースには使えないでしょうね」とバークは見通しを語る。
厩舎期待の牝馬
厩舎の向かい側の一番端の馬房には、頭を飼い葉桶に突っ込んでいる芦毛の牝馬、フォールンエンジェルの姿があった。彼女はスピゴットロッジが輩出した最新のクラシックホースであり、その歴史を彩る名馬たちの系譜に名を連ねる存在だ。
スピゴットロッジは、1821年のセントレジャーを制したジャックスピゴットにちなんで名付けられた厩舎であり、1849年のダービーを勝ったザフライングダッチマンもここで育った。そして近年では、バーク厩舎が手掛けたG1・ディアヌ賞(フランスオークス)優勝馬ローレンスが、G1を6勝する活躍を見せこの厩舎に数々の栄光をもたらした。

フォールンエンジェルは、現在4歳でまだキャリア8戦と比較的フレッシュな存在だ。2歳時にG1・モイグレアスタッドステークスを制し、3歳ではアイルランドに戻ってG1・愛1000ギニーで最大の成功を収めた。
当初、スティーブ・パーキン氏率いるクリッパーロジスティクスの所有馬として活躍していたが、現在はワスナンレーシングの所有馬となっている。
「ワスナンは彼女の獲得に強い関心を持っていて、前の馬主との直接取引で決まりました。ありがたいことに、彼女を引き続きうちで管理させてもらえることになりました。今年の大きな存在になりそうですよ」とバークは語る。
「まずはロッキンジステークスに向かう予定で、その後はアスコットのG2・デュークオブケンブリッジステークス(牝馬限定戦)に進むつもりです。ただし、もしロッキンジを勝てば、クイーンアンステークスに行く可能性もあります。今のところ、そんなプランを考えています」
「ワスナンにとっても、これは非常に重要なことです。聞くところによると、アミール(国家元首)はアスコットをこよなく愛していて、今年のロイヤルアスコットには運が良ければ訪れるかもしれないようです」
「だからこそ、フォールンエンジェルにはロッキンジSでしっかり結果を出してもらいたいし、アスコットでは牝馬限定戦で大きなチャンスを迎えられるはずです。オールドマイルコースなので、あの舞台は彼女にぴったりだと思います」
厩舎の転機
これらの話は、彼がかつてパブの息子として育ったラグビーの街や、8~9年ほどそこそこの障害騎手をやっていた過去、あるいはかつて管理していた『故障したハードラー(障害馬)』やオールウェザーの下級戦を走る馬たちとの時代とは、まるで別世界の話だ。
バークは、ウォンテージを拠点にしていたアラン・ジャービス元調教師の娘である妻エレーンとともにノッティンガムシャー州ニューアークで馬房経営を始め、そこから調教師としての道を歩み始めた。
サウスウェル、コッツウォルズのブロードウェイ、オックスフォードシャーのジンジやウォンテージ、そしてニューマーケットと、いくつもの街の厩舎を転々としながら成長してきた。夫婦で厩舎業務をこなし、エレーンはいまも馬に騎乗し続けている。
「誰かの助手を務めたことはないが、多くの調教師のもとで騎乗し、成功していた義父(ウォンテージ拠点のアラン・ジャーヴィス調教師)の仕事ぶりを見て学びました。それぞれのやり方を組み合わせて独自のスタイルを作り上げましたたが、その過程でとんでもない失敗をたくさんしましたし、今も失敗はあります。ただ、できるだけ減らしていこうとしています」
そんな彼にも、いまだに忘れられない悔しい出来事がある。モーガンズハーバーという馬がいたが、当時まだ未勝利で17戦していたため、馬主の判断で強豪のメアリー・リベリー厩舎へと移籍。すると、その後2シーズンで12戦10勝を挙げ、最終的にはG1・セフトンノービスハードルを制したのだ。
「あの馬はアイルランドの牧場で1万ポンドで買ったんです」とバークは悔しそうに語る。「あの時の私には、本当に堪えました。今でも忘れられません」
しかし、バークにとっての転機はその後すぐに訪れた。初期の頃から彼を支えたナイジェル・シールズ氏が所有する牝馬デアリングデスティニーが、1994年のエアゴールドカップを制覇。当時の厩舎にとっては、平地競走での年間勝利数がわずか9勝にとどまっていた中での快挙だった。
さらに、翌年にはアイルランドのG3・フェニックススプリントステークス、ドイツのG2・ゴルデネパイチェを勝ち、勢いを見せた。
1995年の勝利数は10勝、1996年は9勝と低調だったが、その後急成長を遂げる。1997年に24勝、1998年に41勝、1999年には50勝と伸ばし、2000年には52勝を挙げて新世紀を迎えた。この年、バーク厩舎はスピゴットロッジに拠点を移したが、当初は管理馬が減少し、順風満帆とはいかなかった。
しかし、2002年には32勝に落ち込んだものの、そこから再び成長軌道に乗る。翌年からは46勝、64勝、62勝、82勝、62勝、62勝と、安定した成績を収めるようになった。
そして、2009年7月、厩舎はフランスに遠征し、G1・ジャンプラ賞をロードシャナキルで制覇。バークにとって初のG1勝利となり、キャリアの大きなマイルストーンとなった。
突然訪れた苦難
ところが、その栄光も長くは続かなかった。同月のうちにBHA(英国競馬統括機構)から資格停止処分を受け、スピゴットロッジを離れることを余儀なくされたのだ。
義父のジャーヴィスが急遽厩舎の管理を引き継ぎ、90頭の管理馬と35名のスタッフの厩舎を存続させることとなった。
「最悪のタイミングでの処分でした。ようやく良い方向に進んでいたのに」とバークは振り返る。
処分の理由は、5年前にバークが、競馬界を追放されたギャンブラーであり元馬主のマイルズ・ロジャース氏に情報を提供していたとされる件だった。ロジャースは当時、スピゴットロッジの投資家でもあった。
この処分により、バークはスピゴットロッジで家族とともに暮らすことすらBHAの許可が必要となったが、当初は認められず、資格停止期間終了後も厩舎のライセンスを再取得するにはさらなる申請が必要だった。
「処分が終わっても、BHAはライセンスを戻してくれなかった。エレーン(妻)に厩舎のライセンスを取得させることさえ、一年がかりでの戦いでしたね。その頃には管理馬はわずか15頭まで減り、その大半は自分たちの所有馬でした」
近隣のジョン&カースティ・ウェイムス厩舎が一部の馬を引き受け、バークの娘たちもその調教を手伝った。スピゴットロッジの売却も検討されたものの、買い手は見つからなかった。
2013年の晩夏、バークはようやく調教師ライセンスを再取得した。それまでの間、彼はエレーンの助手という立場に甘んじていた。しかし、その春から夏にかけて、バークが見出した1頭の馬が厩舎を再びスポットライトの下へと導くこととなる。
リバタリアンはヨーク競馬場のG2・ダンテステークスを制し、70年ぶりにヨークシャー調教馬としての勝ち馬となった。そして、英ダービーでは2着と健闘し、エレーンは史上初のダービー優勝を果たす女性調教師となる目前まで迫った。このリバタリアンは後にゴドルフィンへ高額で売却され、スピゴットロッジはバークの指揮の下で本格的な復活を遂げることとなる。

バークの机の上で無線機が鳴る。最後の調教を見届けるため、彼はシルバーのピックアップトラックに乗り込み、高地の調教場へと向かう。
「もう一度自分たちの実力を証明する必要がありました。それは間違いありません」
そう語る彼の車は、調教馬の隊列を横目に草地をゆっくりと揺れながら進む。
「当時、疑いの目を向ける人間は多かったですし、正直なところ、私たちが再起できると信じてくれた人はほんの一握りだったと思います。でも、それでも支えてくれた人もいました。ジョン・ヒューズやレイ・ベイリーのように、本当に苦しい時期に力になってくれた人たちがいました」
「ですから、そうですね…ただひたすら働き続けました。一度失ったものを取り戻すと、その価値がより分かるものです。何とかここまで戻ってくることができました」
復活、そして今の厩舎の姿
バークは、購入した馬の一部の所有権を保持することで、優れた馬を転売する際に利益を得る仕組みをどうやって築いたかを語り始める。特にオーストラリアや香港への売却が大きな収益源となった。そして、セリ市場での目利きこそが成功の鍵であり、それは亡き恩師、コレット・シノット氏から学んだ最も大切な教訓だったという。
2016年にはG1・コモンウェルスカップを制した牝馬クワイエットリフレクションを、わずか4万4000ポンドで購入し、その後、キャリアの終わりにクールモアへ210万ギニーで売却。この成功を皮切りに、ローレンスの活躍、さらに2018年のG1・フライングファイブステークスを制したハヴァナグレーの勝利と、バーク厩舎はもう振り返ることなく突き進んできた。
高地の柔らかい草の調教場に立ち、広がる渓谷を見下ろすと、まるで世界の頂にいるかのような気分になる。まだ早春の冷たい空気の中、調教馬たちが坂を駆け上がり、肺から白い息を大きく吐き出す音が静かな朝に響く。
「あれはサンダーランですね。順調ならリンカーンに向かう予定です」
そう言いながら、バークは調教馬の1頭が坂の頂上に達するのを見つめる。
調教馬が歩く速度まで減速すると、バークは騎乗者たちに馬の状態を尋ねる。それはピックアップトラックに戻り、窓を開けて進みながらも続く。


「マーク、動きは問題なかったか?」
「ほかの馬を先に行かせよう、そうしないとうまく動きがおかしくなってしまう」
「ピエール、あの馬の状態には満足してるか?」
そして、ふと新人の騎乗者に目をやり、「リーナが乗って帰ることになるかな?」と声をかける。彼女の初めての調教騎乗をしっかり見守る様子からも、スピゴットロッジの厩舎チームに漂う温かさが伝わってくる。ここは働きやすい場所なのだろう。
「今のスタッフは本当に素晴らしいです。馬の質も、スタッフの質も、これまでで最高のチームが揃っています」とバークは誇らしげに語る。
「うちはスタッフをしっかり大切にしています。給料も悪くないですし、勤務時間も適正ですし、労働環境も整えています。そういうことは口コミで広がるものですから」
「厩舎の総スタッフ数は、パートタイムも含めると約50人になります。今朝の最初の調教では、騎乗者が32人いました。その中には、厩舎と契約するジョッキーたちも含まれていて、彼らには騎乗手当が支払われます」
バークの娘ルーシーも厩舎の調教騎乗者の一人だ。彼女と妹のケリーは昨年、それぞれ第一子を出産。ケリーはまだ騎乗復帰していないが、現在は厩舎の事務所で運営の中心を担っている。一方、エレーンは祖母として、9か月になるハーヴィーと7か月のハーパーの世話に追われている。
「孫たちは最高です。彼らのためにも仕事を頑張ろうという気持ちになります」バークはそう言って笑みを浮かべる。「娘たちが小さかった頃よりも、今のほうが楽しいですよ。当時はあまりに忙しすぎましたたからね」
そして思い出すのは、かつてのジンジ村での厩舎時代。初めて移ったバンガローはただの事務所のようなもので、最初の数ヶ月は風呂どころかシャワーもなかった。娘たちは小さな流しで体を洗っていたという。
「彼女たちが3、4歳の頃、エアゴールドカップを勝った時は、彼女たちも一緒に手伝わなければなりませんでした。自分たちが騎乗している間は、スタッフの誰かがオフィスで子どもたちの面倒を見て、学校に行く時間まで預かってくれていました」
「だから今は、孫たちと過ごす時間を素直に楽しめるんです」
オフィスの壁には、ローレンス、フォールンエンジェル、クワイエットリフレクション、ハヴァナグレーといったG1馬たちの写真が並ぶ。その中に、キャタリック競馬場でのアマチュア騎手としての初勝利を記念する、ケリーの古い写真も飾られている。家族の存在が、厩舎にとってどれほど大切かが伝わってくる。
娘たちがこうして厩舎の運営に深く関わっている以上、いずれ彼女たちがスピゴットロッジの厩舎免許を引き継ぐことはあるのだろうか?
バークは考え込みながら、「無理強いするつもりはありません」と答える。
「もちろん、それが実現すれば素晴らしいことですが、この仕事は順調な時はいいが、時に辛く、心が折れることもあります。だから、やるなら覚悟をもって臨まなければなりません」
「今は順調ですが、彼女たちは厳しい時期をあまり覚えていないでしょう。私が言っているのは、ライセンスを剥奪された時のことではなく、最初にこの道を歩み始めた頃の話です。壊れかけた馬を3頭抱え、借金を背負ってスタートしたんです。本来なら調教師を始められる状況ではなかったですが、それでもただひたすら努力し乗り越えてきました」
スピゴットロッジを後にし、ホリンズの坂道を下る車は軽やかに進む。上り坂でエンジンを酷使した分、今は滑るように谷へ向かって進んでいく。
バークはこれまで数々の試練を乗り越え、現在の成功を手にした。しかし、それは決して楽な道のりではなかった。厳しい時期を乗り越えながら、彼は今の地位を築き、名だたる馬主たちを惹きつける存在となった。
だが、その歩みがここで緩む気配はない。過去の資格停止処分、そして病との闘い、それらが彼に教えたのは、『当たり前のことなど何ひとつない』という現実だった。
キャリアも人生も、決して安泰ではない。バークはまだ頂を目指して進み続ける。