彼の一族の顧客は幅広い。王族から何千人もの庶民まで、クロットワーシーの名字を知っている。
土曜日、ニュージーランドのエラズリー競馬場で行われるG1・ニュージーランドダービーには、名門のクロットワーシー厩舎から2頭の馬が送り込まれた。期待が集まるウィリードゥイットと、伏兵のインタープラネタリーだ。
妻のエマと共同で厩舎を経営するショーン・クロットワーシー調教師は、優秀な師匠の弟子として育った2代目ホースマンだ。父のキムも優秀なホースマンとして知られ、イギリス障害競馬界の伝説的な名伯楽、マーティン・パイプ師はもう一人の師匠だ。パイプ元調教師は英国の競馬界に大きな影響を与えた存在、来週のチェルトナム・フェスティバルでは同氏の名を冠したレースが開催されるほどである。
Idol Horseのポッドキャストに出演したショーンは、「2000年前後にイングランドでラグビーを少しやっていたんですよ」と当時を振り返る。
「怪我でお休みしていたとき、サマセット州のマーティン(・パイプ)の厩舎にお邪魔して、馬に乗らせてもらったんです。良い体験でした。あれほど多くの馬が調教を行っている施設は初めて見ましたね。180頭から200頭くらいいましたし、坂路を駆け上がる姿は圧巻でした。当時はA.P.マッコイが厩舎の主戦だったので、お会いできたのも良かったです。本当に名手って方でしたね」
「マーティンの厩舎は障害競馬界に革命を起こしました。他の厩舎とは違う手法を、実際にこの目で見て、何が違うのかを身を以て知れたのは良い経験でした。たとえば『馬を絞りすぎ』なんて批判をされることもありましたが、実際に障害馬を育ててきて分かったのは、ジャンパーはシャープに仕上げ、余分な肉をそぎ落とした無駄の無い体を作らないといけないということです。それを踏まえての仕上げでしたし、そういう点や段取りは勉強になりました」
パイプ師との繋がりは、父のキムを通じて生まれたものだったという。キムは1980年代初頭からエリザベス王太后(エリザベス女王の母)のニュージーランド担当を担っており、2002年に王太后が崩御するまで、多くの活躍馬を発掘していた。その中には、障害競馬で多くの勝ち鞍を挙げたジアルゴノートのような名ジャンパーも含まれる。
また、キムは1977/78シーズンのNZ年度代表馬、1977年のニュージーランドダービー馬であるアンクルリーマス(コリン・ジリングス厩舎)の馬主でもあった。
アンクルリーマスのダービー制覇からほぼ50年の月日が経った今、クロットワーシー家は再び、ニュージーランドダービーの表彰台に戻ってくるかもしれない。その夢は、ウィリードゥイットとインタープラネタリーの2頭に託された。

もし、ウィリードゥイットがダービー馬となれば、MyRacehorseというマイクロシェア方式(日本の一口馬主に相当)のシンジケートを通じて出資している、数千人の馬主たちも『ダービーオーナー』の仲間入りを果たすことになる。
また、これが実現となれば、MyRacehorseのオーストラリア支社にとって、初の3歳G1制覇でもある。元はアメリカで創業された企業であり、本家ではオーセンティックが2020年のケンタッキーダービーを、シーズザグレイが2024年のプリークネスステークスを制している。
「面白いシステムですよね。運営方法は当初思い浮かべていたものを超えてきました」とショーンは関心を示す。「大きな注目が集まっていますし、競馬界全体、ニュージーランドの競馬界にとって素晴らしいことなのではないでしょうか。3000人以上の人が一斉に、この国の競馬やレースを見てくれるわけですからね」
「もちろん、中にはすでにニュージーランドで馬主をやっている人もいるかもしれませんが、オーストラリアには潜在的な顧客も多数いるので、そういう人を見つけられるのはNZの競馬界にとって明るい話題です。『一口持っているんですよ』という方が結構いて、Facebookで連絡を貰ったりしますが、本当に色々なオーナーさんがいるんです」
MyRacehorseはウィリードゥイットが初めてのバリアトライアルを使った後に新たな契約を結んでおり、少なくともダービーが終わるまではニュージーランドに留まる予定だ。その後、ランドウィック競馬場のG1・オーストラリアンダービー(2400m)に遠征し、この先はオーストラリア最大級の厩舎、キアロン・マー調教師の下へと転厩する。
「当時、ウィリードゥイットの売却交渉はスムーズに進みました。ブライアン・ブラックという友人でもあり、厩舎の顧客でもあるオーナーがいて、この馬をセールで落札した当時から出資していました。で、残りが妻のエマと私の持ち分です。今はブライアンとエマが50%、MyRacehorseが50%を持っているという配分ですね」
「キアロンはオーストラリア国内ではトップクラスの調教師ですし、施設も万全です。この馬は将来性抜群なので、きっと向こうに行っても活躍してくれるはずです」
厩舎の馬を売却しながらも、一部の権利を保有し続けるという手法は、クロットワーシー厩舎にとってお馴染みのスタイルでもある。
厩舎唯一の重賞馬、ヒーザショッカはG2・チャンピオンシップステークス(2100m)を制した後、タスマン海を渡って隣国のミック・プライス & マイケル・ケント・ジュニア厩舎へと移籍した。オーストラリアではG3優勝、G1入着の好成績を残しているが、この馬もウィリードゥイットと同様にクロットワーシー家が共有馬主に名を連ねている。
「まあ、調教師よりも馬主として関わる方が気楽なのは確かですよ」とショーンは笑う。
「ヒーザショッカはその後も何度か会いに行きました。昨年、オーストラリアンギニーを走ったミック & マイケル厩舎のオタゴもうちの馬です。プレッシャーとは別に、気楽にレースを観に行く立場を味わうのも良いものです。ウィリードゥイットについても、同じように見守りたいですね」