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今年のバレンタインデーは、的場文男が騎手人生に別れを告げた日となった。1973年以来、東京都品川区の大井競馬場でこの仕事を続けてきたが、2025年2月14日、68歳にして「夢のような」騎手生活を引退すると発表した。

ラスト騎乗は昨年の7月8日、大井競馬場の3レースを最後に騎乗していない。もっとも、その騎乗も1鞍限り。最後のフル参戦だった2024年2月13日から5ヶ月の休養を挟み、1鞍のみ乗った日だった。

的場の引退は東京シティ競馬(TCK)のウェブサイトを通じて公表され、『大井の帝王』は3月31日を最後に、トレードマークの赤地に白い星が散りばめられた勝負服を脱ぐと、全世界に伝えられた。的場が伝説を築いた地方競馬(NAR)では、騎手は馬主の勝負服ではなく自身がデザインした勝負服を着て騎乗するルールがある。

大井競馬場内では、至る所に彼をモチーフにしたアートを見かけることができる。壁に飾られたり、グッズとして人気を博したり、勝負服を着たマネキンが展示されていたりする。そこにはサイン入りの写真や、偉業の一つを掲載したポスターが飾られている。しかし、この勝負服がレースで見られることはもう無い。

FUMIO MATOBA TATAMI MAT / Oi Racecourse, Tokyo // 2023 /// Photo by Michael Cox

「正直なところ、まだまだ乗りたい気持ちはありますが、昨年2月に膝を怪我し、一度騎乗を再開しましたが、膝の影響もあってか思うような騎乗ができず、体力的にも限界を感じるようになり、騎手としてのキャリアに終止符を打つ決断をいたしました」

長年支えてきた熱心なファンは、彼の引退を機に一つの節目を迎える。的場はファンに向けて、このようにコメントを残した。

「これからは新たな道を歩むことになりますが、皆様の応援を胸に、次のステージでも頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。」

年齢の追い込みを許さない逃げを打っていた的場だが、ついに衰えに捉えられた。的場の騎乗スタイルは『的場ダンス』として広く知られていた。この独特な騎乗スタイルだが、年を取って柔軟さが失われた今でも、なんとか力強く追わなければと試行錯誤した末に編み出されたものだという。上体は他の騎手よりも起こし、上下に跳ねるように動き、不器用かのように見えるほど腕を振るう、的場独自の騎乗フォームだ。

かつて彼自身が説明したように、「体が硬くなった」からこそ、このダンスが誕生したのだ。

的場文男の騎手人生は驚異的という表現に尽きる。日本最高齢の現役騎手という称号に加え、1973年10月16日の大井競馬5Rでデビュー(5着)して以来、地方競馬最多の7424勝、最多騎乗の43497回という前人未踏の記録を打ち立ててきた。初勝利は初騎乗から数週間後、同年11月6日に挙げた。もちろん、初勝利も大井競馬場だ。

1997年のコンサートボーイが勝った帝王賞では、伝説の立役者となった。この年から統一G1の格付けが与えられた帝王賞では、中央競馬のスーパースターである武豊騎手が乗る人気馬を破り、最高峰の栄誉を手にした。

帝王賞は1993年のハシルショウグン、2007年のボンネビルレコードでも制しており、もう一つの大レースである東京大賞典は1986年に制覇している。羽田杯は6勝、東京記念は8勝しているが、最後まで手が届かなかったのは東京ダービーだ。ダービーでは最後まで不運に泣き、2着の回数はなんと10回に上る。

的場は本州の最南端に程近い、福岡県の大川市で生まれ育った。兄は佐賀競馬場で騎手の仕事をしており、自身もそれに影響を受けて騎手を志したが、兄からは「騎手を目指すなら他に行った方が良い」と諭された。そこで選んだ先は大井競馬場、小さい頃に両親に連れられて訪れたことがある場所だったという。1971年に上京すると、多くの名騎手を輩出した小暮嘉久調教師の下に弟子入りした。

憧れの騎手になった先輩は、後に調教師に転身した赤間清松騎手や佐々木竹見騎手だった。特に佐々木は7151勝という地方競馬最多勝記録を保持していたが、2018年の8月12日、当時62歳の的場がその記録を更新した。

1983年、129勝を挙げて大井競馬のリーディングジョッキーに初めて輝く。その後はすぐに頭角を現し、大井の帝王として君臨することになった。1985年から2004年まで、なんと19年連続で大井のリーディングジョッキーを防衛し続け、2002年には地方競馬全体の年間最多勝(363勝)を獲得。翌年も335勝を挙げて、全国リーディングを再び獲得した。

FUMIO MATOBA / Oi Racecourse, Tokyo // 2018 /// Photo by The Asahi Shimbun

中央競馬(JRA)では通算4勝を挙げており、最後の勝利は2004年3月の中山競馬場での勝ち星だった。また、2009年と2019年にはワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)にも地方競馬代表として選出されている。

地方競馬からは安藤勝己や内田博幸、岩田康成、戸崎圭太といったチャンピオン級の騎手が中央競馬に移籍しているが、的場は最後まで大井競馬場に留まり続けた。

時には物議を醸す不祥事を起こしたこともある。2017年12月30日は、飲酒をした状態で調整ルームに帰ってきたとして、2日間の騎乗停止処分を科された。また、最後の騎乗(7月8日)の2日前には、同僚の騎手との金銭トラブルを起こし、主催者から処分を受けている。なお、被害を受けた騎手はすでに謝罪を受け入れたという。

的場文男騎手にはこのような側面も存在するが、それでもファンから愛され、その偉業は尊敬を集めている。2020年には、「模範となるような技術や事績を有する者」に授与される黄綬褒章を騎手として初めて受章している。

彼はまさに伝説として記憶されるだろう。全盛期の腕前はもちろん、努力、強靱さ、タフさ、そして長きに渡る現役生活は驚異的なものだった。彼は輝かしい実績を残し、日本競馬の歴史に残るレジェンドとして勝負服に別れを告げた。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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