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ヴィクトワールピサは、このところ体調を崩し、苦しい時期を過ごしていた。

2月15日、トルコジョッキークラブのカラジャベイスタッドで種付けシーズンが始まった時、ベテランの領域に入りつつある同馬も気合いは十分だった。だが、体のほうがついてこなかった。

種付け開始から2日後、ヴィクトワールピサの体調に異変が訪れた。気持ちはあっても、体には痛みがあった。馬ヘルペスも疑われ、検体を採取して検査したが、結果は陰性だった。

「夜に発熱があり、翌朝に採血しました。血液検査で感染が確認され、陰茎亀頭部にも傷があったため、種付け作業は中止しました」と、2001年から同場の獣医師を務めるグネス・ソンメズ氏は話す。

2週間にわたる治療と経過観察を経て、軟こうや鎮痛剤の効果もあり、痛みは引いた。傷も病変も見られず、ヘルペスウイルスも陰性だった。それでもヴィクトワールピサは牝馬に種付けできる状態には戻っていなかった。

「気力はあったのですが、実際戻るには至りませんでした」とソンメズ氏は説明。「そこで尿道に問題があるのではないかと考え、さらに検体を採って尿サンプルも調べ、どの抗菌薬が有効かを調べる検査も行いました」

原因の切り分けを進めた検査と分析に加え、軟こうやアロエベラの塗布を続けたことで、ヴィクトワールピサの体調は完全回復へと向かっている。

ソンメズ氏は「治療はすべて終わりました」とは経過を説明し、「ここ1週間ほどは、朝と午後4時にそれぞれ1頭ずつ、1日2頭の牝馬に種付けしています。現時点では問題ありません」と明かした。

「これからも健康状態をしっかり見ていきます。もう19歳ですから、できるだけ良い状態で過ごせるよう、しっかりケアしていきたいと思っています」

それは、ヴィクトワールピサを象徴する勝利からちょうど15周年を迎える、この週に届いた朗報でもあった。

今から15年前、2011年3月26日のG1・ドバイワールドカップ。マグニチュード9.0〜9.1の巨大地震が激しい揺れと大津波を引き起こし、日本に甚大な被害と多くの犠牲をもたらした東日本大震災から15日後のことだった。

ヴィクトワールピサの勝利が、家を失った人々や遺された人々の痛みを消し去ったわけでも、苦しみを和らげたわけでもない。それでも、その勝利は人々にとって希望の灯となった。

世界の舞台で戦う日本のヒーローが、大きな困難の中でも立ち上がり、それを乗り越えようとする日本の人々の強さを体現したからだ。

その勝利によってヴィクトワールピサは被災に苦しむ日本に光を与える存在となり、その存在感は今、『ウマ娘プリティーダービー』の登場キャラクターとして新たな広がりも見せている。

Mirco Demuro celebrates his 2011 Dubai World Cup win aboard Japan hero Victoire Pisa
VICTOIRE PISA, MIRCO DEMURO / G1 Dubai World Cup // Meydan /// 2011 //// Photo by Dubai Racing Club
Mirco Demuro and Victoire Pisa win the G1 Dubai World Cup
MIRCO DEMURO, VICTOIRE PISA / G1 Dubai World Cup // Meydan /// 2011 //// Photo by Marwan Naamani

あの夜、メイダンでヴィクトワールピサに騎乗していたのはミルコ・デムーロ騎手だった。向正面で見事な仕掛けを見せ、日本は初めてドバイワールドカップの頂点に立った。

Idol Horseの取材に応じたデムーロは、「夢を見ているんじゃないかと思いました」と当時の心境を語る。

「真っ先に浮かんだのは、その感覚でした。あの時に勝てたことが本当に大きかった。これ以上ないタイミングだったと思います」

「あれはものすごく大きな地震で、多くの人が亡くなり、すべてが悲しみに包まれていました。国にとっても本当に深刻な被害で、人々は大きな不安を抱えていました。皆ひどく落ち込んでいましたが、ドバイにいた日本の関係者は、現地にいる以上、馬を走らせるしかなかった」

「皆が希望の言葉や国旗の入ったシャツを着ていて、本当に苦しい時期でした」

デムーロは、レース後の数分間に入り混じった複雑な感情を今も鮮明に覚えているという。

「一瞬一瞬がすべて頭に残っています。決して消えることはありません。本当にいろいろな感情がありました」

「私はずっと、日本には世界最高の馬がいると思っていました。日本は世界最高の馬を生産している。30年ものあいだ、最高の種牡馬と繁殖牝馬を導入してきたのだから、こういうレースを勝った時、自分の信じてきたことを誇りに思えたんです」

「私はずっと、日本が最高だと言ってきました。だからこそ何度も日本へ行ったし、そこであれだけ必死にやってきた。その思いに対する報いのような勝利で、本当に幸せでした」

ヴィクトワールピサは前年の春にG1・皐月賞を制覇。その後は厳しいローテーションをたどり、日本ダービーで勝利を逃し、フランスへ遠征したG1・凱旋門賞でも結果を残せなかったものの、G1・ジャパンカップでは3着に入り、年末のグランプリであるG1・有馬記念では、名牝ブエナビスタをハナ差で退けて勝利した。

「(有馬記念では)本当に際どかったので、写真判定で勝ち馬が分かるまで20分かかりました」とデムーロは振り返る。

その後はG2・中山記念を快勝し、続いてドバイワールドカップを制した。しかし、香港でG1・クイーンエリザベス2世カップに向けて調整していた際に故障を発症し、その翌年1月に社台スタリオンステーションで種牡馬入りした。

2020年にはトルコへ売却され、昨年はイズミットスタッド、そして今年はカラジャベイスタッドで繋養されている。今年のカラジャベイでは、日本出身のサトノアレスとクルーガーを含む、6頭の種牡馬のうちの1頭となっている。

Victoire Pisa at Karacabey Stud
VICTOIRE PISA / Karacabey Stud // Photo supplied

ヴィクトワールピサは、すでにトルコ競馬界でも確かな足跡を残している。

昨年の種牡馬リーディングでは3位に入り、息子のクータがトルコダービーを制し、娘のブーンナムはトルコオークスを勝った。昨年はイズミットスタッドで122頭に種付けし、受胎率は85.12%を記録。今年は120頭の交配予定を抱えている。

「ここに来るのは今回が2度目です。この馬は本当に落ち着いていて、治療の際にもまったく問題はありませんでした。私たちが必要なことは何でも受け入れてくれます」とソンメズ氏は話す。

「年も重ねていますし、もう特別に何かを求めるようなこともありません。本当に優しい馬です」

その“優しさ”は、デムーロの記憶にも強く残っている。

「本当に優しい馬でした。信じられないくらい乗りやすくて、こちらが求めたことを何でもやってくれました。私がダービーを勝った父のネオユニヴァースも同じだったんですよ」

「ネオユニヴァースのほうが、気持ちを表に出すタイプでした。一方のヴィクトワールピサは、もっと真面目で、実にプロフェッショナルで、そしてタフでした。なかなか抜かせない馬で、勝負根性も非常に強かったです」

デムーロとソンメズ氏が口を揃えて語るその“優しさ”は、『ウマ娘』に登場するヴィクトワールピサのキャラクター像にも確かに重なる。そこでは彼は、純粋で心優しい「希望の天使」として描かれている。

「いい馬です」と獣医師のソンメズ氏は言う。「私たちはみんな、この馬が大好きです」

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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