メルボルンカップ前夜、ブックメーカーのスーツより白いものがあるとすれば、それは彼の顔だ。
クリス・レスター、この男はカップ当日のレーシングプログラムには載らないだろう。だがこの一瞬、レースを取り巻く熱気が、彼のブックメーカースタンドで繰り広げられた数分間の狂騒に、きれいに包み込まれたかのように見えた。
まるで幽霊でも見たかのような顔つきだ。ほんの数分前、馬券を買いたいとやって来た客が彼の台に戻ってきて、賭け金を持ってきたと告げたのだ。買い目はトップハンデのアルリファー、15万ドルをドンと張ったという。
レスター氏が目を落とすと、彼の手元には小ぶりのキャリーバッグが2つ。中には100豪ドル札と50豪ドル札がきれいに束ねられ、幾重にも重なって詰まっている。
「おい、マジでここまで賭けてくるとは想定してなかったぞ」とレスターは漏らす。
(訳者追記:JRAなどが採用するパリミュチュアル方式の馬券発売と違い、ブックメーカー方式は馬券購入者と発売元の間で賭けが行われる。馬券が払い戻されれば胴元は損失となるため、すなわち一対一の構図となる)
狂乱の大博打
このやり取りは、メルボルンカップ伝統のコール・オブ・ザ・カードでの狂乱の一場面にすぎない。このイベントは、翌日の一戦に出走する全馬のオッズを4人のブックメーカーが提示し、大口勝負を見届けようと、約1000人が会場にひしめき合う。
場内の四方八方から代理人たちが叫び、馬券を売っているブックメーカーの注意を引こうとする。狂気、混沌、そしてどこかカタルシスすらある。オーストラリアの多くの人にとってメルボルンカップが宗教だとするなら、ここは礼拝堂だ。
「単複に1000豪ドル」「単勝の方に1万豪ドル」「1000豪ドルを単勝に」「500豪ドル複勝で」「100万豪ドル狙ってくぞ!」場内の掛け声は止まらない。
「今日ここに来ると緊張しますし、何が起きるのか、何が進行するのか見当がつかない」とレスターは言う。
とはいえ、レスターには薄々察するところがあった。午後が長引き、人気順の逆順で販売が進んでいくと、ついに出番はジョセフ・オブライエン厩舎の愛セントレジャー馬、アルリファーへと回ってきた。
アルリファーは実績こそ上位だが、翌日のメルボルンカップでは59kgという過酷なハンデを背負う。この斤量で勝てば半世紀ぶりだ。
その名が出た瞬間、場内の空気に電撃が走り、口元はマイクに近づき、賭けを叫ぶ準備が整う。テレビカメラは、きちんと装った若者たちが座る席の横で見守る。さて、事の顛末はこうだ。
「Easygoを代表してアルリファーに50万豪ドル(5000万円)で!」
場内は水を打ったように静まり返る。アルリファーのオッズは8倍、胴元として発売の権利を持っているレスターは、いったん司会者の方を見やった。
アルリファーの単勝に50万豪ドルを賭けて、当たれば400万豪ドルを受け取る馬券なのか? それとも、“当たったら50万豪ドル勝つ”というタイプの賭け方なのか?
「正直、ちびりそうになった」とレスターはIdol Horseに話し、肩をすくめる。
結果、彼はその賭けを受け入れた。場内から拍手が起き、気の利いた客の中には、その英断にスタンディングオベーションを送る者もいた。
「(大口が入るかもしれないという)噂は耳にしていました」とレスターは言う。
「それをどうさばくかは、もう『マジかよ、どうするんだよ?』という感じで。頭の中は整理がついていなかったけれど、ラドブロークス社とリスクヘッジの契約をしていて、賭けの一部を持ってくれる手はずでした」
このベットを入れたのは、Stake.comを運営するEasygoだ。創業者はギャンブルテックの億万長者、エド・クレイヴン氏。宣伝としては十分すぎるほどの効果を上げた。金というのは、どうやら“簡単に来て、簡単に去っていく”ようだ。
先週、今季限りでの引退を発表したフランキー・デットーリ騎手は、Stake.comのアンバサダーを務めている。そのデットーリが、Easygoのチームに「アルリファーは買い」と進言したのだ。賭けの額は想像よりもはるかに大きかったかもしれないが。
「彼は『雨は問題じゃない。どんどん行け』と言っていました」と、Easygoのスポーツブック&ポーカー部門ディレクター、クリス・ボディー氏は言う。巨額のベットに集めるメディアの関心を見越し、PRメモに目を落としながらの言葉だった。
「私たちはメルボルン発のテック企業です。テニスの全豪オープンの他に、メルボルンが世界に誇れるビッグイベントを応援したかった。それがメルボルンカップなんです」
「史上最大のベットを入れるつもりで来ました。ヴィクトリア州ブックメーカー協会とは少しやり取りがありました。というのも、想定していたベットだと税金絡みでややこしくなる可能性があったからです。史上最大ではないと承知していますが、歴史に残る何かが欲しかったです」
「最終的に50万豪ドルの額に落ち着き、今日に至りました。本当はフランキー本人をここに呼ぶつもりで……」
勝つ運命、勝てない運命
もし、メルボルンカップの歴史書が執筆されるとすれば、デットーリには1章まるまる割かれるだろう。レースを勝とうとすればするほど、かえって結果は遠のいた。累計の挑戦回数は17回に及ぶも、2着が2回。3度の制覇を誇るグレン・ボス騎手の軽口を借りれば、「何頭かはミスった」敗北史だった。
2019年は、カップ史に残る名写真のひとつが撮られた年だ。デットーリはロイド・ウィリアムズ氏の所有馬で、激しい叩き合いを演じた。入線は2着。レース後、“フライング・ディスマウント”はなかった。彼は項垂れ、両手で顔を覆い、打ちひしがれて立ち尽くした。
ある写真家は、検量室前で落ち込む彼をカメラに収めた。ゼッケンに刻まれた騎乗馬の名は『マスターオブリアリティ』、なんとも皮肉めいた一枚だった。
デットーリは「泣きたい気分だ」とレース後にコメント。その後、進路妨害が認められ、4着に降着となった。
メルボルンカップの歴史を紐解くと、世界の名手たちが望んでも手にできないトロフィーを、無名の調教師や馬主が手にしてきた。このレースの妙味はそこに詰まっている。
デットーリはついに勝てなかった。そして今や、騎乗ではなく予想する立場に回っている。エイダン・オブライエン調教師は未だに勝てていないが、息子のジョセフ師はすでに勝っている。
イギリスのルカ・クマーニ調教師は毎年のように馬を送り込み、笑顔で煙草を吸い、そして毎年、勝てずに帰っていった。アイルランドのウィリー・マリンズ調教師はまさに天才トレーナー、メルボルン以外では。
では、メルボルンカップを勝っているのは誰なのか。不動産会社のディレクターや、パブのオーナーだ。


「良いことはパブで起きる」
メルボルンカップの数分後、勝ち馬のハーフユアーズからジェイミー・メルハム騎手が降りると、そんな声がどこからか聞こえた。敗れた23頭が『もしも』を嘆き、勝ち馬の陣営は夢心地を味わう、まだざわめきが残る空間で声は聞こえた。
ハーフユアーズは現役馬のオンラインセールにて、30万5000ドルで落札された。最後の共有枠を購入したオーナーは、冬の厳しい冷え込みで知られる馬の街、ヴィクトリア州のバララットでパブを3軒営むデイブ・キャニー氏だった。
では、キャニー氏は故コル・マッケナ氏が生産したこの馬と、どのようにして出会ったのか。それはパブに飲みに来ていたトニー・マカヴォイ調教師と親しくなった縁で、最後の共有枠に辿り着いたのだ。
「マカヴォイ家は代々酒飲みでしてね」と、息子のカルヴィン師と共同で厩舎を運営するトニー・マカヴォイ師は言う。
勝利ジョッキーのメルハムは、バララットではもう二度と飲み物代を払う必要はないだろう。きっと奢りになるはずだ。
栄光の勝利ジョッキー
メルハムがこのメルボルンカップを勝つのは、ほとんど宿命だったのかもしれない。
友人のミシェル・ペイン元騎手が女性騎手初の優勝を手にした年から10年の節目を迎えた今年、同僚のベン・メルハム騎手と結婚し、コーフィールドカップ制覇からわずか2週間後にさらなる栄冠を手にした。
コール・オブ・ザ・カードで札束が飛び交う前、メルハムは会場でインタビューを受けた。メルボルンカップを勝つのがどんな気分か、想像したことはあるかと問われると、彼女はこう返した。
「それは、明日の午後3時を過ぎてから聞いてください」
言い終えると、メルハムは緊張気味に微笑んだ。自信と慎みが入り混じった、そんな笑顔だった。
では、実際はどんな気分だったのだろう?
ハーフユアーズがジョセフ・オブライエン厩舎のグッディートゥーシューズと、キアロン・マー厩舎のミドルアースを退け、先頭でゴールを駆け抜けた後、彼女は「この気持ちは言葉にできません」と今の感情を言葉にした。
「今週はずっと夢見て、勝てるように願ってきましたが、どんなに準備しても足りない光景でした。とんでもなく嬉しいです」
ウィンクスの現役時代、クリス・ウォーラー師とヒュー・ボウマン騎手を全豪にその名を轟かせていた。それ以来、オーストラリアでメルハム(旧姓:カー)ほど注目を集めた競馬界の顔は、他に見当たらないと言っても過言ではない。
彼女は天井を打ち破り続けてきた。シーズン100勝以上を挙げ、メルボルン地区のリーディングを獲得した初の女性騎手となり、G1勝利数は数え切れないほど。そして今回、コーフィールドカップとメルボルンカップの『カップス・ダブル』まで達成した。
しかし、低迷期も苛烈だった。2023年の落馬事故では脳出血を負い、数カ月の戦線離脱。
スキャンダルにも晒された。世間の注目度が高まる中、かつての同居人がSNSにアップした写真には、メルハムの近くに“白い粉”が写っていた。しかし、捜査の結果は『事実無根』だった。また、コロナ禍では自宅パーティーを開いて隔離規則に違反し、騎乗停止処分も受けた。
彼女がいちばん落ち着けるのは、夫のベンと一緒にいる時と、自分の馬の世話をしている時だ。
「彼女への批判は相当です。標的にされがちですからね」と、夫のベン・メルハム騎手はIdol Horseに語る。
「彼女は打たれ強いです。競馬界は男性がメインの世界ですが、彼女はたぶん並み居る男性以上の結果を出しています。競馬界で戦うために努力し、貢献しているのに、不当な批判を浴びているんです」
「血反吐を吐くほど働くし、競馬界の素晴らしいアンバサダーです。たくさんの女性を競馬場や競馬の世界に連れてました。若い人の関心を呼び込みました。彼女は死ぬほど努力して、世界レベルの騎手になったんです」
「妻を心から誇りに思います」

メルボルンカップの前夜、メルハム夫妻は腰を落ち着け、過去のレース映像を研究していた。
直線に向いた直後、妻のジェイミーは最初の狭いスペースにスッと入り、夫のベンが騎乗するスモーキンロマンスを抜き去った。数完歩進むと、同じような狭い抜け道がもうひとつ現れる。ジェイミーも、ハーフユアーズも、瞬きひとつしなかった。
「素晴らしいホースウーマン、素晴らしいジョッキーです」とマカヴォイ師は、その果敢な騎乗を評する。
「うちの厩舎はアデレードでたくさん勝ち星を挙げてましたが、それと同時にこの女性騎手に何度もやられました。どうやって彼女に勝つかを考えていたら、息子が『勝てないなら引き入れよう』と言うんです」
「それでジェイミー(メルハム)にはうちに来てもらおうとなったんです。彼女はアデレードでは、ほかの誰よりも数馬身先を行っていました」
では、なぜジェイミー・メルハムはそんなに良い騎手なのか?
「取り乱さないんです」と、夫のベンは答える。
「大の探求家というわけじゃない。でも、馬の扱いが抜群にうまい。障害馬術でも、カッティング競技でも、競馬でも、全部です。生まれながらのホースウーマンで、当たりがやわらかく、大舞台で状況を読み、実行に移せるのが強みです」
メルボルンカップの体力を振り絞る最終盤、ライバル騎手は必死に追って騎乗フォームが乱れる中、ハーフユアーズの馬上で追っているメルハムの落ち着きは際立っていた。
風を受け流すように低く背を沈め、ほとんど完璧に動きを合わせ、まさに人馬一体となる。競馬学校すべてで教材として見せるべき騎乗だろう。最近は女子のほうが男子より多いという騎手候補生は皆、次のジェイミー・メルハムを目指して日々奮闘している。
メルボルンカップ制覇後に調教師へと転身したペインのように、メルハムがどれほど長く乗り続けるかは誰にもわからない。忘れられがちだが、彼女はかつて馬術競技でのオリンピック出場を目指そうとしおたこともある。そうした挑戦には、長年の忍耐と底なしの資金が要る。
とはいえ、それはあくまで未来の話。いまはメルボルンカップの時間だ。
メルハムはテレビの放送室に呼ばれると、ペインの隣に立ち、一緒に写真に収まった。こうした光景からは、やがては快挙ではなく“日常”になるのだという予兆すら感じ取れた。
「前回の女性騎手制覇から10年。十分、時間は経ちました」とメルハムは言う。「遅かれ早かれ、私がやらなきゃと思っていました」

レースの「安全」
毎年のメルボルンカップで、主催者が何よりも大事にしているのは、出走24頭が全馬無事に完走することだ。
数年前まで、現代のメルボルンカップは悲惨な“犠牲”の記録を残していた。主にヨーロッパからの遠征馬が、フレミントンの馬場や、メルボルン郊外の滞在拠点に適応できず、到着後で怪我をするケースが相次いでいた。
無観客開催の2020年、エイダン・オブライエン厩舎のアンソニーヴァンダイクが最後の直線で故障した一件を受け、レースは大きな転換を迫られた。このレースでの予後不良は、7年間で6頭目だった。
「世界中の人々が見つめる中で、不運な事故が続いてしまいました」とレーシング・ヴィクトリアのアーロン・モリソンCEOは話す。「何か状況を変えるべく、手を打たなければならなかった。かなりまずい状況でした」
「記憶というのは短いですし、そもそも当時を知らない人もいます。私たちは社会的な立場を失いかけていました。政府や他のパートナーの『今後も競馬を支援すべき理由は何か』という疑念に直面していたんです」
今ではその対策として、出走前に広範なスキャンや画像検査を受け、獣医師の許可を得ることが義務づけられた。欧州馬は事前準備として、ニューマーケットでの獣医検査を求められる。
今年はメルボルンカップの2週間以上前、前売り1番人気でコックスプレートの有力馬でもあったサーデリウスが検査不合格となり、同馬は両レースからの回避を余儀なくされた。
幸い、今年のレースでは死亡事故は起きず、全人馬が無事に帰ってきた。
火曜日、主要入場門のひとつの前では、十数人の抗議者がプラカードを掲げ、人生で最高の時間を過ごそうとする若く着飾った男女(入場者は84,374人)に向けて声を上げていた。活動家は組織化され、デジタルにも長け、毎年、粘り強く姿を見せる。
「人々が良い時間を過ごすこと自体には何の問題もありません」と、“競走馬保護連合”を名乗る団体のエリオ・チェロット氏は言う。
「メルボルンカップについて言えば、ほとんどの人が遊びに来るのであって、競馬自体は目的ではありません。私自身も競馬に行ったことがあります。現実を知ってしまってからは、良心が私を、競馬に反対する積極的な立場へと駆り立てました」
より社交的な一部の客は、入場しながら活動家を「どっかいけ!」と罵る者もいれば、「アイツらは何がしたいんだろうな?」と首をかしげる者もいる。
「でも、歌は耳に残るね」と冗談を飛ばす者も中にはいた。
一方で競馬界も、反競馬団体のキャンペーンに対抗するべく、Kick Upのような団体による組織的な取り組みを始め、ようやくイメージアップの反撃に転じようとしている。それでも、活動家が消えることはない。
「競馬を一掃できるとは思っていません」とチェロットは言う。「もちろんそれが起きれば嬉しいですが、現実的に見ています。劇的な改善が見たいのです」
「競馬が明日閉鎖されることはありません。これからも長く続くでしょう。でも、鞭の使用を禁じるといった変化を起こし、公平な環境作りを促すことはできる。そうすれば、馬が疲れている時に無理に追わせることがなくなり、故障も減るはずです」
メルハムが輝くその裏で、反競馬を掲げる人々は、どんな小さな出来事にも飛びつく準備ができているのだという戒めもあった。
ハーフユアーズがレース後に引き上げると、口元に少量の出血が見つかった。SNSは即座に反応、怪我かと騒がれた。獣医の報告では、出血の正体は頬の内側の軽い切り傷。追加の処置は不要だった。
メルハムの初制覇から2レース後、元優勝騎手のブレイク・シン騎手が落馬事故に遭い、脚の骨折が疑われて病院へ搬送された。騎手が落馬した時の競馬場の沈黙ほど、気まずく重い沈黙はない。この日の最終レースは、もう一台の救急車が到着するまで遅らされた。
救急隊員は開催日の事故に備え、現場で常に待機している。彼らの働きぶりには惜しみない称賛を送りたい。
勝負の結末
スタンド裏では、メルボルンカップの結果を受けて現金が数えられ、払い戻しが手から手へと移っていた。
コール・オブ・ザ・カードではアルリファー絡みの“強打”を食らったものの、その危機的状況が不発に終わったと知って、レスターの顔色にはついに血の気が戻った。
アルリファーは絶望的な位置取りから脚を伸ばし、結果は7着。勝者のリストに名は刻まれないかもしれないが、レスターはこの大一番で、メルハム本人より多くの現金を手にしたのかもしれない。
ましてや、二人は今年の初めに「誓います」と言い合ったのだ。コースを後にし、夕暮れへと歩きながら、ベンがジェイミーの荷物を持つのを手伝う。彼女の“半分”は、彼の“半分”でもある、というわけだ。
「名前をハーフユアーズからハーフマインに変えないとね」とベンは笑った。
