人に「優れた競馬実況者とは何か」と尋ねられたとき、ディー・リウ(廖浩賢)がよく語る話がある。
「ある人が教えてくれたんです。老人ホームにいる男性がいて、その人は目が見えないのに、競馬開催日になるとテレビの前に座って、僕の実況を聴いてくれているって」
「その話を聞いたとき、心を打たれました。毎開催日、彼はテレビの前にいて、目は見えないけれど、僕の声を聴いている。自分のやっていることに、そんな意味があるなんて、すごく特別なことだと感じたんです」
「ギャンブルを目的に実況を聴いている人たちのために喋るのももちろん大事です。誰が勝ったとか、オッズがどうだとか、そういう情報を届ける。でも、目の見えない人のために実況するという視点は、それまで僕の中になかったんです」
我々がディーと会ったのは、改装されたばかりのセントラル・マーケット。金曜午後らしく多くの人で賑わう中、1階のレストランに向かって入り口を進んでいると、ある男性が彼の名前を呼んだ。配達員の男性だった。
まだ届けられていない荷物の上に腰かけて休憩中で、スマートフォンで翌日のシャティン競馬のプレビュー番組を視聴していたのだ。その番組にはパネリストとしてディーが出演しており、画面を見上げたその配達員の目の前に、本人が現れたのだった。
目の前の人物が、さっきまでスマホで予想を伝えていた本人だと気づいた配達員は、「ワーッ!」と広東語で驚きの声を上げた。ディーは快く足を止め、一緒にセルフィーに応じた。このやり取りこそが、香港社会、特に労働者層における競馬の位置づけを物語っている。
ディーがタクシーの後部座席に滑り込んだとき、運転手がその声を耳にして見せる反応も、ほぼ毎回同じように興奮したものになる。
「そうなんです。乗って『競馬場まで』って言うと、たまに二度見されるんですよ」とディーは笑う。
シャティンやハッピーバレーで多くの時間を過ごしてきた人にとって、ディーとの対面はどこか現実離れした感覚を伴う。
というのも、香港の両競馬場の大部分のエリア、さらには場外馬券売場でも、耳にするのは彼のあの特徴的な声だからだ。レース開催日には、タクシーのラジオから流れてくるのも、彼の熱のこもった実況である。
特に、抑揚豊かで歌うような発音をする広東語でディーが競馬への情熱を込めて喋り出すと、それを聞くだけで、まるで競馬場に連れて行かれたかのような感覚になる。
広東語がわからなくても、ディーの声がいかに認知され、愛されているかは、彼の実況を一度聴けばすぐに理解できる。その情熱的な語り口は、香港競馬の歴史における数々の名場面の『サウンドトラック』として、人々の記憶に刻まれてきた。
サイレントウィットネスの衝撃的な17連勝に始まり、ビューティージェネレーション、ゴールデンシックスティ、ロマンチックウォリアー、そして現在のカーインライジングに至るまで、香港のヒーローたちの走りを実況してきたのが、ディーなのである。
もし、彼の思いどおりになっていたなら、あの馬たちに乗っていたのは話している自分自身だったかもしれない。ディーはハッピーバレーで育ち、父親と兄は共に香港で『馬夫』と呼ばれる厩務員だった。しかし、少年時代に馬に乗ったいくつかの経験から、報道陣のいる記者室か、放送席のほうが自分には向いていると感じるようになった。
「落馬したんですよ」と、乗馬に挑戦した当時を振り返る。
「厩舎で働くことになった友人が何人かいて、僕の最初の仕事は、地元紙に小さなコラムを書くことでした。早朝の調教に足を運んで、気づいたことを記録していたんです」
新聞での早期の経験と、そこで得たチャンスが、ディーを地元競馬メディアという競争の激しい世界へと導いた。彼はやがて、自ら競馬新聞を立ち上げることになる。
『Call Ma(コール・マー)』と名付けられたその新聞で、ディーはかつて自分が与えられたような機会を、今度は他の若者たちに提供しようと努めてきた。彼は新たな視点を持つ若手の記者やコラムニストを多数起用している。
「新しいことに挑戦して、これまでと違うやり方をしたいという思いもありますが、同時に『伝統を受け継ぎたい』という気持ちもあるんです」と、出版に携わる動機についてディーは語る。
「香港の競馬専門紙には長い歴史があります。その伝統が失われてしまうのは、僕としては避けたいんです」
ディーの実況と同じように、Call Maもまた、質と品格を必要としていた香港競馬メディアの世界において、鮮やかな存在感を示す媒体となっている。もしこの新聞が、ディーの声が聴き手にもたらす感動に少しでも近いかたちで読者とのつながりを築けるなら、きっと成功するだろう。
「とにかく、レースの一部になっていると感じてもらいたいんです」
「現地に行けなくても、まるでそこにいるかのように感じてほしい。レースの中に引き込まれるような感覚を届けたいし、情熱を込めて実況したい。人とつながりたいんです」