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日曜日にシャティン競馬場で行われるG1・チャンピオンズマイルでロイヤルパトロネージが勝利を収めれば、女性調教師による香港G1制覇という史上初の快挙が現実のものとなる。

その女性とは、言わずと知れた『競馬界のファーストレディ』ゲイ・ウォーターハウス調教師。オーストラリア競馬の第一人者にして、あらゆる壁を打ち破ってきた先駆者である。

これまでにシャティン競馬場で管理馬を出走させた女性調教師は、ウォーターハウスを含めて14名にのぼる。なかでもニュージーランドの名伯楽、シルヴィア・ケイ調教師は、今もなお83歳で現役を続けており、1996年のクイーンエリザベス2世カップでサピオが2着に入ったのが最高成績だった。

ほかにもフランスのコリーヌ・バランド=バルブ調教師が、あの有名なシリュスデゼーグルとともに何度も香港を訪れている。

そして今回、ウォーターハウスが厩舎を共同運営するエイドリアン・ボット調教師とともに歴史を動かせば、それは単なる記録にとどまらない。香港ジョッキークラブにとっても、競馬界の枠を越えた話題性をもたらす最高の結果となるのだ。単に『初の女性勝利』という節目を超え、競馬界の外にも届くニュースとなることは間違いない。

世界中を見渡しても、ウォーターハウスほど『競馬の広報大使』という言葉が似合う人物は他にいない。あふれるカリスマ性、個性的ながら魅力的なキャラクター、そして揺るぎない野心と情熱。誰もが彼女をひと目で忘れない。

オーストラリアでは誰もがその名を知る存在であり、オーストラリアの公共放送であるABCでは『国内でもっとも認知されている人物の一人』と紹介されたほどだ。競馬界という枠を超え、社会全体にまで名を響かせる数少ない人物のひとりである。

父はオーストラリア史上最高の調教師とも称されるT・J・スミス氏。彼女はその娘で、かつては俳優業を志してテレビドラマ『ドクター・フー』にも出演したが、最終的にはその血が故郷と馬の世界へと呼び戻した。

父のもとでは15年に及ぶ最高の徒弟時代を過ごしたが、1989年には調教師免許を拒否されるという壁にも直面した。

その理由は、ブックメーカーを生業とする夫のロビー・ウォーターハウスが関与したとされる『ファインコットン事件』によるものだった。1984年のブリスベンでの下級戦にて、本来出走予定のファインコットンが実績馬のボールドパーソナリティとすり替えられていた、という大事件である。

しかし彼女は屈しなかった。1992年に念願の調教師免許を取得すると、わずか数ヶ月で初のG1勝利(テアカウニック)を達成。以降、オーストラリア競馬のあらゆる栄光を手にしてきた。今なお手にしていないのはコックスプレートだけだ。

現在、ウォーターハウスはその活動の場を徐々に海外へと広げている。来週はケンタッキーダービーの特別ゲストとして渡米予定だ。ただし、管理馬を連れての遠征はほとんどなく、今回のような国際舞台での挑戦は、まさに『十年に一度程度』という貴重な機会である。

Gai Waterhouse with Bentley Biscuit after a Newmarket gallop
GAI WATERHOUSE, BENTLEY BISCUIT / Newmarket // 2007 /// Photo by Julian Herbert

調教師としての初期、ウォーターハウスは香港を含むアジア各地に積極的に進出していた。1996年のQE2カップではフューアーチョーズンがオーヴァーベリーの5着に健闘し、同年の香港インターナショナルボウルではオールアワーモブがモノポライズの5着に入った。

さらに1997年には、ジャグラーがドバイワールドカップでシングスピールの6着に入り、当時の豪州調教馬として最高着順を記録。だが、彼女の国際挑戦はそれから8年間、鳴りを潜めることとなる。

2005年、ウォーターハウスは再びシャティンに狙いを定めた。グランドアーミーがシドニーの秋競馬で圧巻の内容を見せ、QE2カップでは1番人気に推されたが、結果はヴェンジェンスオブレインの11着と大きく崩れた。続くベントリービスケットやチューズデイジョイも海外では本来の力を発揮できず、国際遠征の夢は一度棚上げされた。

海外でウォーターハウスの名が再び現れたのは2014年。だがそのスタイルは一変していた。ロイヤルアスコット開催の直前にカフェソサエティを購入すると、その週のウォルファートンハンデキャップに出走させて3着。また、別の現役購入馬であるポルニシェはその2週間後のベルモントダービーに出走するも、着順は大きく沈んだ。これがウォーターハウスにとって唯一のアメリカ遠征馬となっている。

2015年、ロイヤルアスコットのダイヤモンドジュビリーステークスでのワンジナの6着。これが国際舞台での最後の出走となっていた。

そして2024年、長い沈黙を破って、競馬界の『ファーストレディ』が再び世界の舞台に帰ってきた。シャティンで歴史が動く瞬間が、すぐそこまで迫っている。

たとえウォーターハウス自身が現地で見守ることはなくとも、ロイヤルパトロネージが勝利を収めたならば、その歓声は海を越えて世界中に響き渡ることだろう。

Idol Horse reporter Andrew Hawkins

Hawk Eye View、Idol Horseの国際担当記者、アンドリュー・ホーキンスが世界の競馬を紹介する週刊コラム。Hawk Eye Viewは毎週金曜日、香港のザ・スタンダード紙で連載中。

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