4月20日に中山競馬場で行われる皐月賞。クラシック路線の大穴と目されるキングスコールの手綱を握るのは、G1レースの頂点に立ったときの景色を知っているジョッキー、藤岡佑介騎手だ。勝てば騎手人生最大の勝利、ここに懸ける思いは強い。
39歳の藤岡はこれまでに大レースでの栄光と失意、そして2024年4月10日に阪神競馬場での落馬事故で弟・藤岡康太騎手を失うという深い悲しみを経験してきた。
あれからまだ1年足らずの今、クラシックのタイトルを手にすれば、それは藤岡にとって特別な意味を持つ勝利になるだろう。彼は目立ちはしないものの、堅実な活躍に定評がある騎手だ。2004年にJRAの競馬学校を卒業して以来、年間平均49勝を記録し、最多は75勝。これまでに重賞勝利は54回を数える。
中央のG1制覇は2回。2024年のフェブラリーステークスではペプチドナイルに騎乗して勝利を収め、2018年のNHKマイルカップはケイアイノーテックで制している。また、父の藤岡健一調教師が管理するジャックドールにも10回騎乗して6勝、うち2勝はG2だった。しかし、この馬の最大の栄冠となった2023年のG1・大阪杯では、名手・武豊騎手に鞍上を譲る形となった。
これまでに騎乗した有力馬には、セリフォス、バスラットレオン、ダノンファンタジー、ステイフーリッシュなどが名を連ねる。
だが、キングスコールでクラシックを制することができれば、それは藤岡にとってはまさに殻を破るような勝利となることだろう。矢作芳人調教師が手掛け、DMMドリームクラブが所有するこのドゥラメンテ産駒の素質に、藤岡は強い信頼を寄せている。
「今の時点でも良い走りはできていますが、どこまで良くなるのかは想像がつきません。すごく可能性を秘めている馬だと思っています」と、藤岡はIdol Horseの取材に対して語った。
キングスコールは、2024年7月21日の札幌で行われた新馬戦でデビューし、藤岡を背に3馬身差の快勝を収めた。その後、故障のためしばらくの離脱を挟んだが、2025年3月16日に中山競馬場で行われた皐月賞の前哨戦、G2・スプリングS(芝1800m)ではピコチャンブラック、フクノブルーレイクに続く3着に入線した。
「素質はすごく感じていたのですが、精神面ではとても幼いところがありました。今もまだ成長の途中といった感じで、完全に完成しているわけではありません」
藤岡は、3歳のキングスコールがジャックドールやペプチドナイルに肩を並べる、あるいはそれを超える可能性もあると見ている。
「ペプチドナイルはずっとG1の舞台で走ってきましたし、自分がこれまで乗ってきた中でもトップクラスの一頭です。ジャックドールももちろんそのひとつ。ただ、キングスコールにはその2頭に並び、そして『超えていってほしい』という気持ちがあります」


藤岡の家系は、三代にわたって日本の競馬に関わってきた。その始まりは、祖父が阪神競馬場に勤務していたことに遡る。
「祖父は、阪神競馬場が完成したときに厩務員として働き始めたんです。詳しい経緯までは分かりませんが、当時はちょうど日本で競馬が本格的に始まった頃で、人を募集していたんだと思います」と語った。
「自分自身も、馬に関わる仕事がしたいという気持ちはずっとありました。ただ、騎手でなければならないというわけではなくて、馬が本当に好きだったので、最初は獣医になって馬を助けたいと思ってました」
しかし実際には、藤岡はJRAの騎手養成所に入学する道を選んだ。そこで同じ期に在籍していたのが、今や日本を代表するトップジョッキーのひとりであり、藤岡と同様に競馬一家出身の川田将雅騎手だった。
「将雅は当時、とにかく『トップだけを目指す』という姿勢で、他の人間は全員ライバルだと思っていたんじゃないかな。あの頃は、あまりフレンドリーな感じじゃなかったです(笑)」と、藤岡は振り返る。
藤岡は「今では将雅とは普通にレースの話もしますし、馬の情報交換もしています。香港のジョッキーズルームは昔からピリピリした雰囲気があったと聞いていますけど、日本はちょっと違いますね。レースが終わった後は、ジョッキー同士わりとフレンドリーな人が多いと思います」と語った。
そして弟・康太騎手の突然の死を通して、藤岡はジョッキー同士の強い絆を改めて感じたという。危険と隣り合わせのこの仕事に身を置く以上、そうした覚悟は常に必要だと彼は理解しているが、それでもなお「すごくいい仕事で、楽しく続けられています」と語る。

康太騎手の殉職、そして常に危険と隣り合わせである騎手の仕事への向き合い方について、藤岡はその心情を静かに述べた。
「生前、兄弟の間では『こういうことも起こりうる』という話はしていました。彼がこの仕事を選んだことに悔いは無かったと分かっているのでだからこそ、気持ちを背負うというよりも、自分の中で何かを『引き継いでいく』という意識です」
「それに、『絶対に無事に引退しなければならない』とも感じています。キャリアを終えるまで、あのような事故が起きてほしくないという想いはあります」
皐月賞を制することができれば、それは藤岡にとってキャリアの頂点となるだけでなく、最愛の弟への最高の手向けにもなるだろう。