クランジ競馬場の廃止により、シンガポール競馬の歴史に終止符が打たれるという電撃的な知らせは、競馬界に大きな衝撃をもたらした。
ドキュメンタリー映画監督を志す22歳のジェームズ・グレイは、悲嘆に暮れるクランジ競馬場を目にして、この国で働く競馬関係者や競走馬たちを映像として記録に残すことを決意した。
そして、グレイはIdol Horseと協力し、一本の短編映画を制作した。彼にとって家族同然のような厩舎スタッフ、そして徐々に都市開発が進む街を追った、ドキュメンタリー映画『Packik-Packik Saya: My Uncles』だ。
「私にとってこの映画はタイムカプセルのようなものです。長年にわたって厩舎を支えてきた人々と、多くの時間と費やされたその努力を、いつまでも忘れないための作品です。この国の競馬界を知ってほしかったのです」
「この場所がブルドーザーで取り壊された後も、皆が忘れないでいてくれることを願っています。まもなく跡形もなく壊されると思いますが、決して忘れたくはありません」
調教師のスティーブ・グレイと妻のブリジットの間に生まれたジェームズは、2歳の頃にニュージーランドからシンガポールに移り住んだ。競馬と共に育った人生で、厩舎スタッフとは家族のように接してきた。
昨年6月、競馬主催者のシンガポールターフクラブは、180年以上にわたって続いてきたこの国の競馬に終止符を打ち、120ヘクタールのクランジ競馬場を住宅地として再開発すると発表した。
それはすなわち、生涯を競馬に捧げてきた競馬場の関係者が仕事を失うことを意味していた。
グレイは「本当に悲しい出来事でした」と、その決断を振り返る。
「彼らは何世紀にもわたって受け継がれてきた専門的な技術を持っているのに、今では違う仕事を探さなくてはいけません」
映画の中では、厩舎スタッフへのインタビューも行われた。競馬関係者や馬の将来を無視した政府の冷酷な決断に対する、生の声が収められている。
「取材に応じてくれた皆さんが心を開いて、生の声を聞かせてくれたことに感謝しています。彼らがどんな扱いを受けたのか、これは不公平です」
グレイはタイムカプセルとして作ったと語るが、この映画は普段は光が当たらない厩舎スタッフの物語を巧みに伝えており、競馬場の閉鎖とともに行き場を失った約700頭の競走馬の行方に焦点を当てて描いている。
シンガポールで8度のリーディングジョッキーに輝き、スティーブ・グレイ厩舎のアシスタントトレーナーを経て、現在は調教師として独立したサイミー・ビンジュマートもインタビューに登場する。
競馬場の閉鎖によって人生をめちゃくちゃにされた怒りと悲しみを、映画内でこのように語っている。
「シンガポール政府は全てを上手く管理しています。何かをしようと思えば、上手くやります。しかし、この場所は見限られました。存続を望んでいなかったのです」
サイミーは競馬関係者がどれだけ冷酷に切り捨てられたかを指摘し、『競馬に興味がない』歴代のシンガポールターフクラブ会長を非難している。
「彼らを任命したのは誰なのか?そう、政府です。彼らは皆、政府出身の人間です。競馬場を終わらせるため、送り込まれたんです。『はい、これで終わり。土地を返してね』とだけ言って、競馬を終わらせました」
もう一つの印象的なシーンは、3代続けて競馬に携わる競馬一家に生まれたヴィンセント・アル・エドウィン・エベニーザ氏が語る場面だ。政府の役人は馬の知識が無かったと、彼は指摘する。
「私たちのことは気にしないでください。しかし、馬の行き先はどうなるのでしょうか?馬は私たちにとって、自分たちの子供のような存在なんです」
「引退させた馬は放牧地に野放しにしておけば良いと言われるかもしれませんが、実際は常に気を配る必要があります。きちんと管理しないと、蹄が伸びすぎたりして、病気になる可能性があります。サラブレッドという品種は、人間の世話が必要なんです」
グレイは映画を撮影する中で、クランジ競馬場が持つ熱帯地域の美しさと、シンガポールの急速に拡大する無機質な都市部を、対照的に存在として描いている。
「シンガポールは都会化が進みつつあります。クランジ競馬場の正門を出ると、すぐそこに高速道路が走っています。しかし、門の内側は温かみで溢れています。あの場所には良い思い出しかありません」
グレイは2年間でシンガポール第9歩兵連隊の中尉にまで出世し、兵役を終えた。現在、ニュージーランドのウェリントンにあるヴィクトリア大学に在籍し、映像制作と国際ビジネスを学んでいる。
Idol HorseのFacebookページで、『Watch Packik-Packik Saya: My Uncles』は配信されている。