「奇跡の快進撃」豪州のシンデレラホース、シェルビーシックスティシックスが引退
オーストラリア競馬界を揺るがせたシンデレラホース、シェルビーシックスティシックスがターフに別れを告げた。ダニー・ウィリアムズ調教師と歩んだ波乱の道の先にあるのは、伝説たちが休む聖地か、それとも…。
気温は氷点下の凍てつく朝。シドニーから2時間離れた田舎の競馬場、ゴールバーン競馬場では、とある調教師が素手で馬房の掃除をしていた。電気は止まり、水道管も凍結している。冬のゴールバーンでは、そんな過酷な朝が当たり前に訪れる。
ダニー・ウィリアムズ調教師がその日、シドニーへレース遠征に向けて車を走らせる頃になっても状況は変わらなかった。シャワーも浴びられず、シャツにアイロンもかけられず、何一つ身だしなみを整えられなかったという。そのときの心境を、ウィリアムズは「人生で最も不快な朝だった」と振り返る。
それでも、なぜ続けるのか?
調教師とは、幾度となく訪れる『どん底』を耐え抜き、わずかな『頂点』を追い求める職業だ。数年前、ウィリアムズがこの凍える朝のエピソードを語ったのは、その後まさに夢のような高みを経験したからだった。彼の管理馬、シェルビーシックスティシックスが、地方の無名馬からG1馬へと駆け上がる奇跡を、たった1ヶ月の間に成し遂げたのだ。
もし、ゴールデンスリッパーデーがあと100回開催されたとしても、これほど劇的なシンデレラストーリーは生まれないかもしれない。オーストラリア競馬界の巨大厩舎を打ち破った、小さな厩舎による大逆転劇。それがいかに驚くべき出来事だったか、言葉に尽くせないほどだった。
当時のシェルビーシックスティシックスは、シドニー郊外のカントリーと呼ばれる地方の競馬場に拠点を置く、小さな厩舎限定のレースで敗れていたような馬だった。
しかし、その1ヶ月後、オーストラリアの伝統あるスプリントG1・ザ・ギャラクシーで勝利を収めたのだ。その間には、4頭立てのG2レースで、世界最強スプリンターと称されたネイチャーストリップを退けるという離れ業までやってのけた。このネイチャーストリップは後にロイヤルアスコットでも栄冠を手にすることになる馬だ。
「本当に素晴らしい道のりでした」とウィリアムズは、わずか15万豪ドルで購入した1歳馬の快進撃をIdol Horseに語った。
「ザ・ギャラクシー当日になっても、まだ馬代の支払いが完了していなかったんです。購入時の残金がまだ残っていたんですが、イングリス(競売会社)がその間、本当に力になってくれました」
「勝利の喜びや感動ももちろん素晴らしかったですが、それ以上に心に残ったのは、この馬に惹きつけられた人たちの存在でした」とウィリアムズは語る。
「メルボルンやブリスベンに遠征したときは、プール係の方や厩舎清掃のスタッフ、他厩舎の関係者まで、皆がこの馬と写真を撮りたがっていました。本当に感動的でした。あれほど多くの人々に愛されているのを見てただただ感動するばかりでした」
「G1・ザ・ギャラクシーを制した後、TJスミスステークスに挑戦しようという話が出ましたが、元々登録さえしていませんでした。そのための追加登録料は75,000豪ドルでしたが、ブリスベン郊外で食肉加工業を営むある男性が『こいつのためなら代わりに払ってやる』と申し出てくれました。結果的にそのご厚意はお断りし、自ら支払いました」

オーストラリアほど、成り上がりの下克上物語を愛する国はない。2,700万人の人口を抱え、欧米・アジアから遠く離れたこの国にとって、自国のアスリートや競走馬が世界で活躍する姿は、何よりも誇りとなる。
シェルビーシックスティシックスは、まさにそんな競馬ファンの『心』に訴えかけた馬だった。
ゴールデンスリッパーデーのローズヒルガーデンズ競馬場。オーナー専用ルームでG1勝利の祝杯を挙げながらも、ウィリアムズの頭にはまだ現実感がなかったという。
「実は最初、ザ・ギャラクシーに出すつもりはまったくなかったんです。でもチャレンジステークスを走った後、ある競馬ファンに『ザ・ギャラクシーに出すべきだ』と言われて。『俺は2万ドル突っ込むつもりだね。絶対負けないからよ』と。その言葉で考え始めましたね」
しかし…あの夢のような勝利の秋から3年。シェルビーシックスティシックスは再びあの高みを踏むことはなかった。実のところ、それ以来一度も勝てていない。
2023年には6戦して4回の最下位。一時はSNSで『時の馬』と讃えられたが、成績の低迷とともに『期待外れ』という声も上がるようになった。ウィリアムズ自身も誹謗中傷の標的となり、ゴールバーン競馬場への嫌がらせ、さらには競馬統括機関であるレーシングNSWに飛び火する騒動にまで発展した。
そして今年3月初旬、約1年ぶりの出走となったG2・チャレンジSでは、他馬から離されレースを完走できず競走中止となった。
後肢に跛行と診断された後、これを受けてレーシングNSWの裁決委員は、今後のシェルビーシックスティシックスの現役続行についてウィリアムズと話し合うよう求めた。
「復帰初戦を終えた後、裁決委員と話し合いを重ねた結果、引退することで合意しました」とウィリアムズは語る。
「正直、その時がこの馬の状態としては一番良かったと思います。今年のチャレンジSに出る前には4回のバリアトライアルをこなしていて、すべてのトライアル前後に獣医の診察も受けました。独立した獣医師の4~5人に診てもらい、全員が異常なし、完全にいい状態だと太鼓判を押してくれたんです」

こうして、通算5勝、獲得賞金は約90万豪ドル。オーストラリア競馬史上、最も「意外な」G1馬、シェルビーシックスティシックスは静かにターフを去った。
では、第二の馬生はどこへ向かうのだろうか?
『リビングレジェンズ』はメルボルン郊外に位置し、歴代の名馬たちのアフターケアを担う、すなわち余生を見守る施設だ。そこにはメルボルンカップやコーフィールドカップの勝ち馬、そして香港で活躍したビューティージェネレーション、デザインズオンローム、パキスタンスターなども余生を過ごしている。現在、同施設はシェルビーシックスティシックスもその仲間に加えたいと強く希望している。
だが、ひとつだけ問題がある。それは費用がかかることだ。
ウィリアムズとパートナーのマンディ・オリアリー氏はその負担をどう捻出するかに苦慮している。
「言われている金額を負担するのはどうしても難しい」とウィリアムズは打ち明ける。
「施設側も迎え入れたいと言ってくれてはいますが、スポンサーの支援が必要です」
今のところ、ウィリアムズはゴールバーン近郊のNSW州サザンハイランドにいるシェルビーシックスティシックスのところを時折訪れることで満足しているという。ここはゴールバーンの拠点から車ですぐの場所だ。
名だたる伝説たちと肩を並べる場所で、無名から一気に頂点に駆け上がったこの英雄にも、いつか静かに余生を過ごす場所が与えられることを願っている。