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豪州の“俺流”G1ハンター、マーク・ザーラ騎手の常識破りな「マイペース」流儀

オーストラリア競馬はオフがない?ならば自分で作ればいい。G1制覇を量産しながらも、好きな時期に海外へ飛び、家族との旅を満喫するマーク・ザーラは、“俺流”を貫き通す職人肌だ。

豪州の“俺流”G1ハンター、マーク・ザーラ騎手の常識破りな「マイペース」流儀

オーストラリア競馬はオフがない?ならば自分で作ればいい。G1制覇を量産しながらも、好きな時期に海外へ飛び、家族との旅を満喫するマーク・ザーラは、“俺流”を貫き通す職人肌だ。

オーストラリアでG1レースを勝った騎手には、一定の“お作法”がある。

大抵、馬がようやく止まったところで馬上インタビューを受け、検量室に戻って足を地に着けると、もう一度インタビューに応じることもある。そこで裁決委員の前で計量を済ませ、表彰式では笑顔で写真に収まる。

ジェームズ・マクドナルド、ジェイミー・メルハム、ダミアン・レーンなど、G1の常連騎手らは皆、その段取りを熟知している。

しかし、マーク・ザーラ騎手には知ったことではない。2022年、G1・C.F.オーアステークスを制した直後、彼は騎乗馬のトファーネがゴール板を駆け抜けるときよりも速く、ジョッキールームへ全力で駆け戻っていた。

たった1分間程度のインタビューも、関係者との祝福のハグも、そのほかの何もかもに構っている場合では無かった。

というのも、彼にはすでにエンジンを温めて待つ車があり、しばらく見たことがないほど無茶な“仕事から旅への切り替え”が用意されていたからだ。それは地球の裏側で行われるスーパーボウルのキックオフに間に合わせるためであり、そこでは騎手仲間のジェイミー・スペンサー騎手と、馬主のシェイク・ファハド・アル・サーニ氏(ファハド殿下)が彼を待っていた。

ザーラはどうにかメルボルン発シドニー行きの便に滑り込み、そのままロサンゼルスへの夜行便に乗るため、慌ただしく出入国審査を駆け抜けた。アメリカに到着して時計を見た瞬間、彼は自分が何を成し遂げたのかを実感した。

「夜にアメリカへ向かうフライトは(オーストラリアから)1便しかなくて、夜7時半までにシドニーにいなきゃいけなかったんです」とザーラは笑う。「土曜の夜6時半にロサンゼルスに着いたら、みんなお酒を飲んで楽しんでいて、翌日はスーパーボウルなんです」

「まるで時間を巻き戻したみたいな感覚でしたよ。とにかくNFLが大好きなんです。本当にとてつもなく大きな存在ですからね」

試合はカンザスシティ・チーフスがフィラデルフィア・イーグルスを下し、NFL史上でも屈指の名勝負となった。第57回スーパーボウルのスタンドで、ザーラの姿を捉えた写真がSNSに次々と流れ始めると、オーストラリアのファンは首をかしげた。

週末にメルボルンで騎乗していたはずなのに、どうやって現地に間に合ったのか。

そもそも、ザーラは常識に従うタイプではない。移動の物理的な限界のみならず、何十年も前からこの職業に染み付いた伝統そのものに挑んでいる。

「ザーラはオーストラリアのどの騎手よりも、最高のワークライフバランスを持っている」と、ある調教師は語る。

オーストラリアでは、騎手は年364日のうち、いつでもレースに乗る可能性がある。唯一“神聖”なまま残っているのはクリスマスデーだけで、いまや複数の州が、キリスト教の祝日であるグッドフライデーにも競馬を開催している。

オーストラリアのギャンブラーという貪欲な獣は、数分ごとに腹を満たす新たなレースを求めており、その欲求に応えるように、騎手たちは乗り続ける。

多くのスポーツを愛するザーラは、京都競馬場でのG1・マイルチャンピオンシップでドックランズに騎乗するため、今回が自身2度目となる日本遠征に向かう。

騎手という仕事もフットボール選手、野球選手、バスケットボール選手のように、シーズンの中でピークを作り、休むべき時には休むべきだと考えている。たとえ自分のいる競馬界がそんな仕組みを用意していなくても、だ。

「オーストラリアの競馬界にはオフシーズンがないんです」とザーラはIdol Horseに語る。

「世界のほかのスポーツには全部シーズンがあって、大抵の国には、結果を求めてコンディションをピークに持っていく時期があります。そのうえで、休みを楽しみにできる。でも、ここにはそれがありません」

「僕は減量に苦労しているので、サウナに長く入って、断食して、いろいろなことを我慢しています。若い頃は、それができませんでした。満たさなきゃいけない条件がたくさんあったからです。でも、成功していくにつれて、休みが必要だと感じるようになりました」

「旅が大好きだし、美味しいものも大好きなんです。だから、自分でシーズンを作ることにしたんです」

多くの騎手にとっては、トップトレーナーや長年のオーナーに対して切り出すには気まずい話だろう。だが、オーストラリア屈指の『ビッグレースハンター』のザーラは、自分のルールを大事にして動いている。

彼は基本、天候が「ひどい」と嘆くメルボルンの冬期間に休みを取り、ヨーロッパ各地やスペインのパーティーアイランド、イビサ島へと1か月ほど飛ぶ。12月は基本的に騎乗せず、ニューサウスウェールズ州バイロンベイの海岸沿いで日々を過ごす。

妻のエリーゼさんとは、友達との“男旅”で訪れたメキシコのリゾート地で出会った。彼と友人たちが宿泊していたホテルに、彼女も滞在していたのだ。娘ハーパー(4歳)が生まれたときには、2人は「もう少し旅を控えたほうがいい」と周囲から言われたという。

「でも、僕らは全然ペースを落としていません」とザーラは言う。「ただ、彼女を一緒に連れて行くだけです。責任感は生まれましたけど、一緒に時間を過ごすのが楽しい相手が1人増えただけだと感じています」

「僕はいつも騎乗することが楽しいわけじゃない。これが自分に合ったやり方なんです。それは騎手として長くやっていくうえでもプラスになっています。今、僕は43歳ですが、もしずっと乗り続けて、食を抜いて減量に苦しみ続けていたら、今のポジションにはたどり着けなかったでしょう」

Mark Zahra wins the G1 Champions Sprint on Giga Kick
MARK ZAHRA, GIGA KICK / G1 Champions Sprint // Flemington /// 2025 //// Photo by Vince Caligiuri

伝統を重んじる者にとって、メルボルンカップカーニバルはオーストラリア競馬で最も権威ある開催期間であり、すべての調教師と騎手が1年分、あるいは一生分の努力を“回収”したいと思う4日間の祭典だ。

今年、その開幕日であるヴィクトリアダービーデーで、ザーラは4連勝を飾った。ゴドルフィンが所有する3歳馬のテンティリス(G1・クールモアスタッドステークス)とオブザーバー(G1・ヴィクトリアダービー)でのG1勝利も含まれる、まさに圧巻の内容だった。

さらにザーラは、G1・エンパイアローズステークスでライカルーシーをプライドオブジェニの2着に導いたあと、検量室に戻る途中でメディアのマイクの前に立ち、レース後インタビューにこんな言葉を残した。

「負けるのがどんな感じだったか、忘れていましたよ」

半分は冗談だったが、半分は本気だ。ザーラはカップカーニバルを通算8勝という驚異的な数字で締めくくり、長らくフレミントン競馬場を支配してきたマクドナルドの時代に終止符を打った。

もっとも、春の始めから「何勝したい」「どのレースを勝ちたい」といった目標を立てていたわけではない。短期免許で香港に滞在して騎乗しているマクドナルドを打ち負かすことを意識していたわけでもなかった。

ただ、できる限り多くのビッグレースで勝負になる位置にいたかったし、カーニバルの最終的な締めくくりを楽しみたいと考えていたのだ(実際、フレミントンの華やかな最終開催となるステークスデー後、雨の中でDJフィッシャーのライブを満喫している姿が目撃されている)。

「他の騎手が何をしているかなんて、まったく気にしていません」とザーラは言う。

「騎乗している時間を楽しんで、休暇を楽しむ。それだけです。オーストラリアで他の騎手が何をしていようと、気にしない。今が自分にとっていい時期であってほしいだけです。シーズンが終わったら、ヨーロッパで最高の時間を過ごすこと。それがほとんど唯一の目標ですね」

では、そんなザーラをここまでの一流騎手にしているものは何なのだろうか。

家族に競馬の血筋はなく、子供の頃に祖父が彼と兄弟を競馬場に連れて行ってくれたことを除けば、ザーラの「騎手の世界」への入り口は、ほとんどゼロからのスタートだった。15歳になる頃には、彼はレースを研究し、個々の馬の癖やスピードマップ、馬場傾向を学ぶようになっていた。それらは自然と頭に入っていった。

ただし、自然に身についたのは「馬に乗ること」ではなかった。

「頭は良かったと思いますけど、馬の乗り方はまったく知りませんでした。本当は中学3年生の終わりに学校を辞めたかったんですが、両親が許してくれなくて。結局、高校1年生の終わりに辞めました。西オーストラリアでは、10週間かけて馬の乗り方を学ぶコースがあったんです」

「手と目の協調性は悪くなかったと思います。でも、自分に何が起きているのか、さっぱり分かっていなかった。それが、自分が騎手として大器晩成型だった理由だと感じています。長いあいだ馬のことが全然分からなかった。少しずつコツをつかんでいきましたが、時間がかかりました」

「若い頃は、100回くらいは『もうやめたい』と思ったはずです。でも、それでも少しずつ上手くなっていったんです」

騎手にとって、落馬は嬉しいものではない。ザーラは見習い時代、何度も落馬を経験した。

それでも、その時期を何としてもものにしようという強い意志があり、彼は乗り続けた。レースを読む感覚はもともと備わっていたが、やがて馬にまたがって走らせる感覚もつかみ始めた。ようやく、本当の意味で一人前の騎手になりつつあった。

彼の海外遠征で最も注目を集めたのは、パースの快速スプリンター、シーニックブラストで日本に遠征した2009年のスプリンターズSだろう。その後、彼はより高い賞金が見込めるメルボルンエリアに本格的に拠点を移し、そこからもう後ろを振り返ることはなかった。

彼をよく知るライバル、クレイグ・ウィリアムズ騎手は「ここメルボルンだろうと、オーストラリアのどこであろうと、海外に行って大レースを勝とうと、ザーラは本当に順応性が高い」と語る。

「素晴らしいスタイルを持っていて、とても力強く、そして実にスムーズな騎乗をします。本当に結果につながるタイプの騎手です。彼のバランスと手綱さばき、レースの中で馬をさばいていく様子は、とにかく滑らかなんです」

「誰かの騎乗スタイルをお手本にしろと言われたら、マーク・ザーラはその一人でしょう。本当に無駄がなく、分かりやすい騎乗をします」

ザーラ自身はこう語る。

「僕はプレッシャーに対処する能力に恵まれていると思います。そこはずっと自分の得意な部分でした。レースで落ち着きを持って、我慢できることがすごく大事なんです。バランスが必要だし、しっかりした手綱さばきも必要だし、レースの中で素早く良い判断を下さないといけない」

「それが良い騎手を作る要素だと思うし、自分はそのほとんどを満たせているんじゃないかと、幸運にも感じています」

オーストラリアの騎手にとって、メルボルンカップを勝つことは人生を変えうる瞬間だ。ザーラは、今世紀に入ってから、異なる2頭でこのレースを連覇した唯一の騎手であり、オーストラリアが誇るこの大レースでゴールドトリップ(2022年)とウィズアウトアファイト(2023年)を勝利に導いた。

その選択の過程は、彼の冷徹な一面をも浮かび上がらせた。前年の覇者ゴールドトリップの連覇を狙う騎乗依頼がありながらも、ザーラは2週間前のコーフィールドカップで勝利を分かち合ったウィズアウトアファイトへの乗り替わりを選んだのだ。今回は即断を迫られたわけではなかったが、苦しい決断であったことに変わりはない。

ウィズアウトアファイトのメルボルンカップ制覇のリプレイは、ウィリアムズの言葉をそのまま映像化したようなものだった。

長いフレミントンの直線に向けて馬群がコーナーを回っていく中、ザーラはウィズアウトアファイトの手応えを確かめながら、進路を探っていた。ゴールドトリップの内側にごく狭いスペースを見つけると、この馬が内側から詰め寄られると嫌がる癖を知っていたザーラは、すかさず旧友のすぐ脇へと馬体をねじ込んでいった。

案の定、ゴールドトリップがわずかに外へよろめき、その分だけウィズアウトアファイトが飛び出していくための十分なスペースが生まれた。そこでウィズアウトアファイトが一気に伸び、2マイルのクラシックを制する決定的な脚を繰り出した。

それは、どちらの馬に乗るべきか頭を悩ませていたときに、友人であり信頼する予想家のマーク・ハンター氏と一緒に練り上げた『青写真』そのままの走りだった。

「もし感情だけで決めていたら、大好きなゴールドトリップを選んでいたと思います」とザーラは胸中を明かす。「でも、感情を脇に置いて『このレースに勝つのに一番ふさわしい馬はどっちか』と考えなければいけませんでした。その答えがウィズアウトアファイトだったんです」

Mark Zahra wins the G1 Melbourne Cup on Without A Fight
MARK ZAHRA, WITHOUT A FIGHT / G1 Melbourne Cup // Flemington /// 2025 //// Photo by Daniel Pockett

16年ぶりとなるザーラの日本再訪で、日本の熱心な競馬ファンが目にするのは、世界の中での自分の立ち位置を模索していた20代後半の若者ではなく、円熟のピークで大レースを狩りに来る冷徹なジョッキーだろう。

今回、ザーラはロイヤルアスコットでG1勝ちに導いたドックランズに騎乗する。この馬の騎乗依頼について、ザーラ自身は「今年のイビサ行きの途中で、たまたま拾ったようなものだ」と率直に語る。クイーンアンS勝ったあと、彼はそのまま空港へ向かい、連日のDJパーティーが続く、こよなく愛する長いヨーロッパの夏へと飛び立っていった。

ハリー・ユースタス調教師は、ドックランズを日本へ遠征させるという野心的なプランを描いており、その旅にザーラを同行させることにした。

「ダミアン・レーン騎手は親しい友人で、僕と同じように良いレストランでの食事や、ちょっといい暮らしを楽しむのが好きで、日本も大好きなんです」とザーラは話す。

「日本人は効率が良い素晴らしい人たちで、ちゃんと“正しいやり方”をします。刺身と寿司が大好きなんですが、その道の達人ですよね。日本の競馬も本当に素晴らしく見えます。5、6日しかいられないのが本当に残念で、1か月滞在できたらいいのにと思っています」

そして、もし彼がマイルCSを勝つことができたとしても、今回はテレビカメラの前を全力疾走して、お決まりのインタビューをすり抜けていくザーラの姿を期待するべきではない。

通訳の助けは必要になるかもしれないが、今回はスーパーボウルに間に合うための飛行機に駆け込む必要はない。

そして、先のことは誰にも分からない。自分だけのルールを書き続けることを選んだこのジョッキーにとって、日本がやがて「毎年の定番の休暇先」になる日が来るのかもしれない。

アダム・ペンギリー、ジャーナリスト。競馬を始めとする様々なスポーツで10年以上、速報ニュース、特集記事、コラム、分析、論説を執筆した実績を持つ。シドニー・モーニング・ヘラルドやイラワラ・マーキュリーなどの報道機関で勤務したほか、Sky RacingやSky Sports Radioのオンエアプレゼンターとしても活躍している。

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