将来は日本へ?ダミアン・レーン騎手、初のメルボルン地区リーディングジョッキー獲得
ダミアン・レーン騎手が、自身初となるメルボルン地区のリーディングを獲得した。第一子の誕生を10月に控える中、今夏は札幌のWASJに出場。順風満帆なレーンに、日本移籍の可能性や短期免許での来日予定を聞いた。
ダミアン・レーン騎手は今、順風満帆なキャリアを送っている。
自身の『履歴書』にリーディングジョッキーという待望の称号を追加できただけでなく、それによってJRAの短期免許資格を2年間延長することができた。そして、妻のボニーさんとの間には、まもなく子供が生まれる予定だ。順調な日々を送る彼だが、通年免許を取得しての日本移籍は考えているのだろうか?
オーストラリアの温暖な地域に位置する街、ポートダグラス。今週、ダミアン・レーンはここで日光浴をしながら、束の間の休暇を楽しんでいた。山あり谷あり、初めてのメルボルン地区騎手リーディングを獲得するまでの苦労を、改めて振り返ってくれた。
レーンにとって思い返すことは多くあり、30歳を迎えた今、楽しみなことも多い。そして、とある出来事が視点を変えるキッカケになったという。
待望のリーディング
先週、レーンは待望のメルボルン地区(ヴィクトリア州)の『メトロポリタン』リーディングを獲得し、ダミアン・オリヴァー、ロイ・ヒギンズ、ハリー・ホワイト、スコビー・ブリースリーといった往年の名騎手に肩を並べた。
それと合わせて、ランキングで3位以内に入ったことにより、JRAの短期免許を申請する資格も2026年7月まで確保した。
レーンはIdol Horseの取材に対して、自身の思いを語ってくれた。
「日本での騎乗資格を得られたのは素晴らしいことですが、それ以上の意味があります。プレミアシップ(リーディング)を獲得できたことは大きな意味があり、永遠に残る称号です。偉大な先人も勝ち取ってきたタイトルです」
オーストラリアのシーズンはその年の8月1日から翌年の7月31日までが対象となっており、レーンはその期間に88勝を挙げ、2位のブレイク・シン騎手に13勝差を付けてシーズンを終えた。
日本競馬では厳しい『制裁点システム』が待ち受けており、レーンも不注意騎乗や鞭の使用回数違反で処分を科された経験がある。そのため、昨シーズンはJRAでの来日期間を大きく制限されていたが、それが却って国内に集中できる理由になったと、レーンは振り返る。
「プレミアシップを狙えるチャンスがあったのは、来日する期間が少なかったからです。昨年、東京競馬場で乗っていた期間は不本意な終わり方でしたが、逆に別の目標に専念する機会になりました。プレミアシップを最優先目標にしたことは、過去には一度もありませんでした」
レーンは海外に遠征する日本馬とのコンビで定評がある。香港、ドバイ、サウジアラビア、そして母国のオーストラリアでも、日本馬と共に主要レースを勝ち取ってきた。そして、過去5年の間に度々騎乗している日本でも、優秀な成績を収めている。
年間を通して競い合うリーディング争いを制すためには安定感が求められるが、これまでの海外遠征や短期免許での来日期間とは違う難しさがあったと、彼は語る。
「一番の課題は、体とメンタル面の好調を一年間キープする必要があることです。休暇やワーキングホリデーを取得できる場合は、海外旅行で心をリフレッシュし、休息を取ることができます。しかし、シーズン全体を通して毎週最高の状態を保つのは、並大抵のことではありません」
レーンは年間を通してメルボルンに拠点を置いていたのにも関わらず、シドニーでも2つのG1を勝っている。チェーンオブライトニングのTJスミスSと、ヴェイトで勝ったジョージライダーSだ。
ずっと一つの地区で乗り続ける場合、調教師や馬主からの好印象をキープし続けることがこれまで以上に難しくなると、事情を説明する。
「スプリングカーニバルのような重要な開催の場合、2〜3ヶ月ぶっ通しで厳しいプレッシャーを受けて過ごすことになります。ちょっとでも何か起こると、馬主や調教師から悪い印象を持たれてしまいます。しかし、数週間離れると、戻る頃には標的は別の騎手に移っています。何もせずに、関係を修復できるというわけですね」
「プレミアシップを獲得するには、最高の状態をキープし続け、みんなを納得させる必要があります。失敗する余裕はありません。一年中、あらゆる人と良い関係性を維持する必要があるわけです。他のことにも言えますが、常に働き詰めというのは、少し疲れてしまいますね」
日本への移籍
日本の競馬関係者の間では、レーンへの愛着は失われていない。JRAではジョアン・モレイラ騎手に次ぐ史上2番目の早さで通算100勝を達成し、これまで147勝を積み重ねてきた。勝率に至っては23.7%という、非常に高い数字をマークしている。
そして、これは相思相愛の関係性でもある。レーンは日本の文化、人々、そして日本競馬を気に入っている。関係者、解説者、ファンからこんな質問が寄せられるのも、決して不思議ではない。
「JRAの通年免許を取得し、クリストフ・ルメール騎手、ミルコ・デムーロ騎手に次ぐ、3番目の外国人騎手になる考えはあるのか?」という疑問だ。
最近、レーンはその可能性について、より率直に話している。そして、待ち受ける難題についても理解している。通年免許を取得するには、まずモレイラが2018年に不合格となった筆記試験を突破する必要がある。そして、家族にとって何が最善かも考える必要もある。
レーンと妻のボニーさんは、10月下旬に第一子の男の子を迎える予定だ。つまり、今年中に関しては、資格の有無に関わらず短期免許を申請する可能性は低い。2025年の5月から6月、春のG1シーズンでの再来日を希望しているという。
では、短期ではなくフルタイムでの移籍はどうだろうか?
「当然、JRAの通年免許取得は難しいプロセスですが、妻ともよく話し合っており、将来的には検討の余地があるものです。ですが、今年の受験はありません」
「妻も私も日本は大好きですが、男の子の出産が間近なので、少し難しい状況です。今後、1~2年くらいは様子見したいです。家族と離れて暮らすのがどれだけ大変か、息子との日本での生活はどうなるのか、家族にとってどうするのが一番なのか考えなくてはいけません。全て、検討中の段階です」
恩師の悲劇
レーンを始め、結束の強い競馬界にとって視点を変えるキッカケになったのは、元師匠で今でも親しいマシュー・エラートン調教師が倒れたことだった。先月初め、休暇中に訪れていたバリ島で脳卒中を起こして倒れた。
メルボルンの競馬関係者はすぐさま『GoFundMe』でクラウドファンディングのページを立ち上げ、エラートンの家族を支援した。家族は治療のために彼をオーストラリアに帰国できるよう、可能性を模索している。
「メルボルンに移り住んだとき、私はマティと、当時共同で厩舎を運営していたサイモン・ザーラ調教師に弟子入りしました。当時はまだ17歳で、彼と妻のリアと一緒にアパートに引っ越しました。運転免許もまだ持っていなかったので、毎日一緒の車で仕事に向かっていました。それ以来、彼とは親しい間柄で、10年近く彼の厩舎のナンバーワン騎手を務めてきました。私たちには強い繋がりがあります」
「順調に回復していますが、道のりはまだ長いです。メンタルは非常に良好ですが、体のリハビリはもう少し時間がかかります。しかし、今のところきちんと回復への道を歩んでおり、状況は良好に見えます」
夏は札幌へ
直近の計画として、レーンは初めて北海道を訪れる予定だ。WASJに出場する予定で、今年から上位5名に入った外国人騎手には短期免許の資格が与えられるというルールも追加された。
最近の活躍を考えると、レーンにとってこの新ルールは関係ない。いつの日か、JRA選抜の一人として出場する日が来るかもしれないが、今は日本での勝利記録を伸ばせる機会を楽しみにしているという。
「日本での騎乗はいつも素晴らしいです」
「ワールドオールスタージョッキーズには初参加ですし、札幌競馬場での騎乗経験も初めてなので、新しい体験を楽しみにしています」