香港のジョッキーたちの負担が、来季からわずかに軽減される見通しだ。
近年急増していたバリアトライアルの件数に関して、香港ジョッキークラブ(HKJC)の幹部が騎手側の声に耳を傾け、一部対応に乗り出した。ただし、バリアトライアルへの騎乗に対する報酬の支給は、今回も見送られている。
7月11日に沙田競馬場で行われた定例の『ジョッキーミーティング』。この非公開会合で中心的に発言したのは、香港で最多記録となる8度のリーディングに輝いたザック・パートン騎手だった。彼を含む複数のベテラン騎手は、年間88開催という過密なレーススケジュールに加え、バリアトライアル騎乗の増加が騎手や馬に大きな負担をかけていると訴えた。
香港競馬のデータアナリストであるソヒル・パテル氏がデータを提供し、Idol Horseがまとめたグラフが、この現状を明確に物語っている。過去15シーズンの間に、バリアトライアルの実施数は実に133%増加。一方で、出走馬頭数の増加は同期間でわずか9%にとどまっていた。
「調教やレースに加えて、現在のバリアトライアル数は明らかに過剰です。騎手や馬の負担が増えることで、リスクが高まっているのではという懸念があります」とIdol Horseに語ったパートン騎手は、さらにこう続ける。
「バリアトライアルに騎乗する際の報酬についても、議論の余地があると考えています」
こうした声を受けて、HKJC側は広東省の従化トレセンでのバリアトライアル日数を削減する方針を伝えた。パートンは「前向きな対応です」と一定の評価を示した。
当日の会合では、クラブの内部データが示す各競馬場におけるトライアル件数の推移も開示された。対象は、香港域内の沙田、ハッピーバレー、そして中国本土にある従化の3拠点である。特に従化は車で3〜4時間を要する遠隔地であり、騎手らの移動負担の大きさも課題となっていた点が指摘されている。
ある関係者によれば、過去10年間で調教スケジュールに大きな変更はないものの、トライアル実施数だけが顕著に増加していたという。
Idol Horseの取材に対し、HKJCのレーシング・エグゼクティブディレクターであるアンドリュー・ハーディング氏は「ジョッキーのCRC(従化競馬場)への移動頻度を減らすため、来季はトライアル日数を削減する」と明言。現在年間48日あるCRCでのトライアル開催日が、10日程度削減される見込みだという。
「従化のトレーニングセンターは開設当初の意図通り、同地に拠点を置く競走馬の割合が年々増加しています。これによりシャティンの厩舎施設の大規模改修も可能になっており、現在ではおよそ3分の1の競走馬が従化に滞在しています。その結果、自然と従化でのバリアトライアル件数も増えてきたのです」とハーディング氏は説明する。
バリアトライアルの削減は、すでに強固な騎乗依頼先を確保しているトップ外国人騎手たちにとっては、大きな影響を与えるものではない。彼らは以前から従化トレセンへの遠征を抑えることが可能だったためだ。
だが、台頭を目指す若手騎手や、中堅・下位に位置する騎手たちにとっては話が違う。こうした騎手たちは、信頼を築くため足繁く従化トレセンへと通い、調教やトライアルに騎乗している。今回の削減は、彼らにとっては朗報と言えるだろう。
ある騎手は匿名を条件にこう語った。
「レースで軽い斤量に合わせて騎乗した翌日、まだ体が回復していないのに、6~7頭の調教に乗って、その後さらに5頭ぐらいバリアトライアルに乗ります。従化に行けば、それが毎日のように続くこともあります。それは、きつく感じるのも当然です。簡単に解決できる問題ではありませんが、HKJCが動き出したのは良いことです」
一方、ジョッキークラブ側も馬の健康面に関する騎手の懸念に対応し始めている。Idol Horseの取材によれば、現在、馬ごとの運動量を追跡・記録するシステムの導入が検討されており、メルボルン大学との共同研究も進行中だという。この試みでは、最適な運動量のデータを取得し、馬の負担を科学的に把握しようとしている。
ただし、現時点で既存スケジュールが馬に過度な負担をかけているのでは、との問いに対して、HKJCのアンドリュー・ハーディング氏は「そのような懸念はない」と明言している。
しかし、パートン騎手をはじめとする現場の騎手たちは、最近になってこの問題を強く意識するようになっているという。Idol Horseの取材に対しては、「バリアトライアルに出す回数が多すぎる」「シーズン後半には疲れを見せる馬が増えている」との声も上がった。体力的にも精神的にも疲弊した騎手が、同じく疲れた馬に乗るという構図は、重大事故につながるリスクがあるとの警鐘だ。
実際、2010/11年シーズンの出走馬頭数は1,316頭だったが、2024/25年には1,439頭へと増加。また、馬によってはシーズン中のレース数と同等、あるいはそれ以上の回数バリアトライアルに出走することも珍しくない。
統計によれば、2010年8月20日から2011年7月5日の間に沙田とハッピーバレーで実施されたバリアトライアルの総数は391件だった。これに対し、2024年8月15日から2025年6月23日までの今季では、従化を含めて910件にまで増加している。なお、従化トレセンでのバリアトライアル実施は2018/19年シーズンから始まっている。
従化が導入されて以降、バリアトライアル件数の増加は顕著だ。2010/11年から従化導入前年までの間に全体で32%の増加が見られたが、従化開始後の6シーズンでは76%もの増加を記録。初年度の従化でのバリアトライアル数は132件だったが、2024/25年には450件を超え、実に240%増となった。ただし、従化では調教専属の騎乗者が騎手や見習いと作業を分担していることも付記すべきだろう。
「もちろんバリアトライアルは重要です。ここのシステムの一部であり、特にバリアトライアルを経験している馬に初騎乗する際には大きな助けになります。ただ、今はバランスが崩れてしまっていて、バリアトライアルが多すぎると思います」と、別の騎手は語った。
バリアトライアルは、調教師が管理馬をレースに向けて仕上げるための手段として、HKJCが提供している重要な制度だ。出走当日に不満足な内容を見せた馬や、香港競馬に新たに参入した馬は、裁決委員の承認を得るためにバリアトライアルを課される。いわば能力試験としての義務的な出走であり、バリアトライアルを行わなければ実戦に出走することはできない。
3度の調教師リーディングを獲得しているキャスパー・ファウンズ調教師は、次のように語る。
「多くの調教師にとって、バリアトライアルは体力維持のための道具なんです。馬が他馬と一緒になってどう走るか、異なる馬齢・能力の相手にどう対応するか、直線やコーナー、1050m・1200m・1600mなどの距離への適性を見るための手段でもあります。使う理由は調教師ごとに多様です」
HKJCはその枠組みを提供し、調教師が馬を登録することで、バリアトライアルは実施される。つまり、ある日のバリアトライアル数は、調教師が何頭出すかによって左右される構造となっている。
しかし、騎手たちが訴える根本的な懸念は『リスクの増大』にある。バリアトライアルはレースと同じペースで行われており、それがリスクを増やしていると警鐘を鳴らす。
「ゲートから出る瞬間も、発走地点までのキャンターも、レースと同じ環境に頻繁に晒されれば、それだけ事故が起きる確率も上がる」とある騎手は語る。
今季、2月9日にはシャティン競馬場で1日に2度の大きな落馬事故が発生。4人の騎手が落馬し、1頭の馬が死亡するという深刻な事態となった。ザック・パートン騎手は数週間の戦線離脱を強いられ、ヴィンセント・ホー騎手は脳損傷を負い、最近ようやく調教騎乗を再開したばかりだ。
過去に、バリアトライアル中の落馬や故障によっても重傷を負った騎手は数多い。
2012年2月、ダレン・ビードマン騎手はシャティンのバリアトライアルでゲートからの発馬直後に落馬し、重度の怪我により現役引退を余儀なくされた。同年9月にはキース・ヨン騎手がダートでの落馬事故で意識を失い、5分以上も動けなかった。
2018年3月には、ディラン・モー騎手が乗っていた馬が故障転倒し、モー騎手は股関節を骨折。ニール・カラン騎手も巻き込まれ、地面に叩きつけられる惨事となった。2022年2月にはルーク・カリー騎手がトライアルで背骨を骨折している。
こうした状況を踏まえ、先日行われたジョッキーミーティングでは、ある騎手が、将来的にバリアトライアル騎乗に対して報酬が支払われる可能性はあるのか、とHKJC側に問いかけた。
騎手側の中には賛成意見もあれば、どちらとも言えない姿勢の者もいたが、全体としてHKJCの反応は冷淡だったとされる。アンドリュー・ハーディング氏もこの点を認めた。
「確かに、ある騎手からその質問がありました」とハーディング氏。「ただ、調教やバリアトライアルへの騎乗を通じたジョッキーの貢献は、すでにHKJCや香港の馬主たちが提供する金銭的・非金銭的な幅広い支援の中に反映されていると考えています」
Idol Horseが話を聞いたHKJCの幹部や、一部の調教師たちは、香港の騎手はすでに十分に厚遇されていると考えている。クラブは各騎手にライセンスを発行するが、その後のキャリア運営はあくまで本人次第であり、バリアトライアルもライセンス取得時点でシステムの一部として理解されているべきだ、というのがHKJC側の立場だ。
つまり「地位を築きたいなら、バリアトライアルにも乗る。そうでないなら、それも自由」という論理である。
だが、現場の声は必ずしも一致していない。
「バリアトライアルで乗っても、その馬にレースで乗れることはほとんどありません。従化に行って9〜10頭もバリアトライアルに乗って、実際にレースで乗れるのは運が良くて1頭、下手したらゼロなんてこともあります。レースではすでに他の騎手が確保されているからです」と、ある騎手は語る。
「それでも断れないんです。断ったら調教師の心象が悪くなるかもしれない。結局、他の騎手のために馬を仕上げて、報酬も出ない。それで乗り馬も得られない。負け戦なんです、騎手にとっては」
こうした構造に対し、HKJC側は「すでに十分な待遇がある」との姿勢を崩していない。
HKJCのアンドリュー・ハーディング氏によれば、香港の騎手は希望すれば住居や車が提供され、家族も含めた民間の医療保険に加入できる。年間15万香港ドルの航空券手当、夏季の数週間の休暇も与えられている。
レースに出れば騎乗料に加え、1着賞金の10%、入着賞金の5%を受け取ることができる。2023/24年度の平均賞金は1レースあたり192万4000香港ドルで、これは豪・ヴィクトリア州(35万2000香港ドル)、豪・ニューサウスウェールズ州(70万3000香港ドル)、英国(22万7000香港ドル)と比較しても圧倒的な水準だ。さらに香港は税率も低い。
近年はリハビリやトレーニング環境の充実も進んでおり、理学療法士、栄養や筋力トレーナーのジョン・オライリー氏、心理士、カイロプラクター、マッサージ師、フィットネストレーナーらが専属でサポート。騎手専用のジムも完備され、週7日間体制で活用できる。
「この5年間で、シャティンには騎手専用の施設が設立され、毎日利用可能です」とハーディング氏は説明する。
「今オフには2400万香港ドルを投じて施設をアップグレードします。新たに冷水浴・温水浴・サウナ設備、調理スペースなども追加され、ビュッフェ形式だった食事提供も、オーダーメイド式に切り替えられる予定です」
Idol Horseの取材に応じた複数の調教師たちも、「騎手の負担が重いのは事実」と認めつつも、バリアトライアル数については意見が分かれた。多すぎるという声もあれば、「今の件数が必要だ」という声もある。また、トライアル報酬の是非についても賛否が割れたが、共通していたのは「その原資を馬主に求めるのは筋違い」という認識だった。
「すべての関係者にとってフェアな仕組みが必要です。特に馬主にとっても」と語るのは、キャスパー・ファウンズ調教師。
「皆でテーブルを囲んで話し合うべき時が来ています。私たちは皆、馬のために、そして競馬をより良くしたいという思いは同じです。よく考えてみれば、競馬に何を求めているのかについて、私たちは驚くほど一致しているんですよ」