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木曜日、香港ジョッキークラブが発表した新シーズンからの短期免許騎手について、競馬ファンは一抹の物足りなさを感じたかもしれない。新たに参戦するのは、イギリスのデヴィッド・プロバート騎手。ライセンス期間は6ヶ月間だ。

しかし、彼をよく知る関係者たちは、口を揃えてその才能を高く評価している。

香港の競馬ファンは、歴代の一流騎手たちを見て育ってきただけに、騎手に対する期待は常に高い。ザック・パートン、ジョアン・モレイラ、ダグラス・ホワイト、ライアン・ムーア、ブレット・プレブル、ジェラルド・モッセといった、世界の一線級ジョッキーたちが築き上げてきた輝かしい歴史を目の当たりにしてきたからだ。

プロバートのライセンス取得に対する反応は、彼の騎手としての実力や人柄、香港での成功可能性に疑問を呈しているわけではない。むしろ英国外ではほとんど知られていない彼の “地味” なプロフィールに起因する。つまり、香港の競馬ファンの多くが、彼を『よく知らない』というのが実情なのだ。

しかし、プロバートの歩みを振り返れば、そのキャリアは十分に評価に値する。バークシャー州のキングスクレアに拠点を構えるアンドリュー・ボールディング厩舎で、20年近くにわたり地道に信頼を築き上げてきた。見習い騎手リーディングのタイトル、英国での通算1,681勝(現役11位)、年間100勝超えを7回、そして重賞22勝という輝かしい実績を持つ。ただし、G1勝利だけはまだ手にしていない。

“ウェールズのナンバーワン平地騎手” と称されることはあっても、熱狂的な称賛が浴びせられることは少ない。だが、控えめながら着実に積み上げてきた実績と、その誠実な姿勢には、確かな敬意と評価が存在する。香港のラインナップに加わるには、十分すぎるほどの資格と言えるだろう。

「移籍については残念です。私は彼に乗ってもらうのが好きなんです。今年もすでに2、3勝してくれているし、明日も騎乗予定なんですよ」

プロバートに信頼を寄せるG1トレーナー、ヒューイ・モリソン調教師はIdol Horseに対し、プロバートの香港への移籍を名残惜しそうに語った。

DAVID PROBERT, AL WASL STORM / G2 Queen’s Vase // Ascot /// 2025 //// Photo by Alan Crowhurst/Getty Images

来歴

デヴィッド・プロバート騎手の競馬人生は、南ウェールズの谷合いにある故郷のバルゴイドから始まった。ポニーレースで腕を磨き、地元の名伯楽として知られるバーナード・ルウェリン厩舎で本格的な修業を積んだ。

ルウェリン師の娘で、厩舎の事務を担当するベス・ウィリアムズ氏は、少年時代からプロバートを見守ってきた一人だ。7月9日、プロバート騎手はフォスラス競馬場で3勝を挙げた。そのうち最後の勝利は、ルウェリン厩舎の管理馬によるもので、4頭立てのクラス6戦(賞金はわずか3,454ポンド)だった。

「彼が初めて来たのは、まだ学生の頃でした。休みのたびに厩舎に来ては、馬に乗っていましたよ」とウィリアムズ氏は振り返る。

「それからアンドリュー・ボールディング厩舎へ行き、初勝利もあげて、見習いリーディングも獲得しました。彼は昔から本当に素直で働き者の騎手でした」

「乗り手として成功する素質は充分でしたね。体型も良かったし、小柄で軽かったし、何より馬と自然に接することができました。馬と共に育ったようなものでしたから」

現在もプロバートは117ポンド(約53kg)で騎乗可能な軽量ぶりを保っており、香港でもこの点は大きな武器になるだろう。

初勝利と「アイアンマン」

プロバートは英国競馬学校を経て、見習い育成で定評のあるボールディング厩舎でプロとしてのキャリアをスタートさせた。しかし記念すべき初勝利は、出発点となったルウェリン厩舎の馬で挙げている。

「そう、私たちの馬でしたね。ウルヴァーハンプトン競馬場でマウンテンパスに乗って勝ちましたよ」とウィリアムズ氏は懐かしそうに語る。

2007年12月3日、初騎乗からちょうど1年後。プロバートはマウンテンパスに跨り、残り2ハロンで余裕を持って先頭に立つと、最後は1番人気ゼンナーマンを1馬身弱抑えて勝利をもぎ取った。

この時、ゼンナーマンに騎乗していたのがニール・カラン騎手。香港では “アイアンマン” の異名で知られた存在だ。

「彼はアンドリュー・ボールディングの門下生で、しっかりとチャンスを生かし、今では総合力の高い騎手に成長しましたね」とカラン騎手は語る。

「控えめで物静かなタイプだけど、自分のスタイルで仕事をこなしていますよ。毎日英国中を移動して騎乗し、年間を通して多くの勝利を積み上げています。生計を立てるために本当によく働いていると思います」

名手が語る「資質」

現役時代は欧州屈指の名手として名を馳せ、引退後は調教師としてもG1馬を送り出しているリチャード・ヒューズ師。先日のG1・ジュライカップでは、管理馬のノーハーフメジャーズが単勝66倍の大波乱を演出した。

その前日、アスコットでの1戦で、ヒューズ厩舎のサイーダハードスパンに乗ってアタマ差の勝利をもたらした騎手が、何を隠そうプロバートだった。

「彼は素晴らしい騎手です。バランス感覚に優れていて、とにかく騎乗がうまいですね」とヒューズ師。「香港で早々に勝つのは簡単ではありませんが、彼なら可能性はあるでしょう。彼の最大の武器は、その “馬乗りの巧さ” ですね」

同様にモリソン師も、プロバートに太鼓判を押す。

「彼は本当によく勉強するタイプだし、香港でも成功できると私は思います。すでにトップレベルに到達していてもおかしくない、そんな総合力のある騎手ですよ」

足りないのは「G1勝利」だけ

プロバートのキャリア最大の勲章は、2007年の英国見習いリーディング騎手のタイトルだ。この年のタイトルは同点で、アンドリュー・ボールディング厩舎の同期だったウィリアム・ビュイックと分け合った。ビュイックは後に、G1常連のトップジョッキーとして世界に名を馳せることとなる。

「時には、ビュイックよりプロバートに乗ってほしいって思うこともありますよ」と語るのは、先述のモリソン師。プロバートの献身的な仕事を高く評価している一人だ。

「フォスラス競馬場で低級戦でうちの馬に乗ってくれるかって?ウィリアムなら断るかもしれないですが、デヴィッドはやってくれます」

「彼は本当に優れた騎手ですよ。ペース判断は群を抜いています」

DAVID PROBERT, ANDREW BALDING, WILLIAM BUICK / 2009 // Photo Supplied

プロバートの重賞勝ちは22勝。その中にはG2での12勝や、ロイヤルアスコットでのブリタニアハンデも含まれる。当時はボーンインボンベイと呼ばれていたこの馬は、後に香港で『ボーンインチャイナ』と改名され、複数回勝利を挙げている。

しかし、プロバートは未だにG1勝利には手が届いていない。

キャリア最大の勝利の多くは、長年所属してきたボールディング厩舎で挙げたもの。22勝の重賞勝ちのうち、18勝がこの厩舎でのものだ。

「彼はずっと “ボールディング厩舎の一員” のような存在だった」と、ニール・カラン騎手は言う。「でも、専属騎手のオイシン・マーフィーのような存在がいると、なかなか上のレベルに行くのが難しい。より良い馬に乗るためには、厩舎を出る覚悟も必要だったかもしれません」

プロバートはインドでオークスを制し、欧州やカタールでも騎乗経験がある。しかしG1に最も近づいたのは、2018年の英2000ギニー(ティップトゥウィン)と2022年の英ダービー(フーヤマル)の2着。いずれも50倍と150倍の伏兵で、G1での真のチャンスが限られてきたことを物語っている。

「単にG1馬との巡り合わせがなかっただけだと思いますよ」と語るのは、ヒューズ師。「彼が見習いを終えた頃、アンドリュー(ボールディング師)の厩舎は良かったですが、G1級の馬が潤沢にいたわけじゃありません。運も必要な世界なんです」

「彼は控えめで物静かな人物ですが、私が求めるのは競馬場での結果。デヴィッドは、いつでも私にとって信頼できる存在です」

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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