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「今も悔しい」今こそダービーの無念を晴らす時、ニューナム調教師とマイウィッシュがリベンジへ

香港ダービー馬の座にあと一歩届かなかったマイウィッシュが、チャンピオンズマイルでG1初挑戦。競馬記者室で育ち、一流馬たちと歩み、香港という理想の環境で自らの哲学を実践するニューナム調教師が、その道のりと今なお残る悔しさを語った。

「今も悔しい」今こそダービーの無念を晴らす時、ニューナム調教師とマイウィッシュがリベンジへ

香港ダービー馬の座にあと一歩届かなかったマイウィッシュが、チャンピオンズマイルでG1初挑戦。競馬記者室で育ち、一流馬たちと歩み、香港という理想の環境で自らの哲学を実践するニューナム調教師が、その道のりと今なお残る悔しさを語った。

シャティン競馬場の直線に入る手前、第4コーナーのその奥。オリンピックステーブルの一角に、マーク・ニューナム厩舎はひっそりと佇んでいる。そこへ行くには数分かかる。ゴルフカートがバックストレートの後ろを滑るように走り、馬たちが駆け抜けるメインのトレーニングエリアを抜け、静かな空気が広がる一角へ。そこは、ニューナム自身の気質と、調教哲学がぴったりと重なる場所だ。

ゴルフカートを運転するのは調教助手のヘンリー・ウォン。その隣にニューナムが座り、後部座席では秘書のカレン・リンがWhatsAppのアプリでオーナーたちに近況を伝えながら、ゴルフカートは馬たちが毎朝通う道を静かに進んでいく。

「うちは毎日、馬を歩かせて厩舎まで戻します。だから少し長く時間はかかりますが、現在の厩舎の環境を変えたいなんて少しも考えたことがありません。私たちには完璧な場所なんです」と、ニューナムは語る。ゴルフカートが厩舎の入口に差しかかる頃だった。

以前、このオリンピックステーブルに入っていた調教師の中には不満を口にしている者もいたが、メインの施設の喧騒から離れた、緑に囲まれた広々とした空間は、ニューナムにとって理想的な環境のようだ。

それを裏付けるように、2023/24の香港初年度には31勝を挙げ、現在進行中の2024/25シーズンではまだシーズンの4分の1以上を残していながら、すでにその数字を上回っている。

事務所に入ると、デスクの下から1歳のワイヤーヘアード・ジャックラッセルテリアのラルフくんがしっぽをブンブン振りながら駆け寄ってくる。壁にはホワイトボードが掛けられ、コンファやシャティンでのバリアトライアルの割り当てが整然と書き込まれている。

机の上には調教メモと騎手の名前が並び、キャビネットの前には乗馬ブーツが2組、脇にはヘルメットが置かれている。調教師自身と同じく、きちんと整った空気が漂っていた。

「調教に騎乗するのは、単に好きだからですよ。調教師として絶対に必要だとは思っていません」とニューナムは言う。

「何が起こっているのかはっきりしない馬に乗るときには役立ちますが、うちにはいい乗り手が揃っていますし、ヘンリーも本当に上手いですから」

「みんな、私が有力馬にばかり乗っていると思っていますが、実はマイウィッシュには一度も乗ったことがないんです。たいていは、何か問題があるかもしれない馬を確かめるために乗るんです」

My Wish winning the Hong Kong Classic Mile
MY WISH, LUKE FERRARIS / Hong Kong Classic Mile // Sha Tin /// 2025 //// HKJC

そのマイウィッシュこそが、3月の香港ダービー(2000m)で栄冠まであと一歩と迫った馬だ。そして今週日曜日、FWDチャンピオンズマイルで初のG1レースに挑戦する。

シャティン競馬場の最高峰レースである香港ダービーで、キャップフェラに『アタマ』差まで迫ったマイウィッシュの走りは、小柄な馬としては際立った健闘だった。しかし、その惜敗の痛みは今もニューナムの胸に残っている。

「今でも受け入れ難いですね。皆が話題にするたびに、やはりいい気はしません」とニューナムは率直に語る。

「木曜日に14番枠を引いた時点で、正直ガッカリしました。でも、そこから良いレースプランを練ったし、ルーク(フェラリス騎手)も上手く乗ってくれました。ただあとほんの1インチ届かなかった。そればかりはどうにもなりません」

「でも、今週日曜日のレースに向けては前向きです。このクラスになると、どの馬も一流です。ごまかしは効きませんが、うちの馬もこのレベルで通用すると思っています。それが今回なのか、それとも次のシーズンなのかは分かりませんが」

シャティンで馬を送り出すニューナムの姿は、かつて父のジョンとともにシドニーの競馬場記者室に出入りしていた少年時代からは想像もつかないかもしれない。父は『シドニー・モーニング・ヘラルド』のスポーツ編集者だったが、マークの夢は競馬記者になることではなく、競馬の現場に身を投じたかったのだ。

母方の祖父、バート・コンドンは1920〜30年代にシドニーで騎手をしていて、マークは夏になると祖父の小さな牧場で過ごしていた。そして15歳の時、心は決まっていた。

「夏休みが始まる前に、学校の机を空にしました」と、ニューナムは少し照れたように笑う。

「もう戻らないと決めていたんです」

その後、ボビー・トムソン厩舎に入り、数年後には伝説の名伯楽、バート・カミングス調教師の下で、全国を駆け巡るようになる。ボーザム、スカイチェイス、キャンペーンキングといったG1馬たちを連れて全国を旅するようになった。

「1年のうちシドニーにいたのは3ヶ月だけだった年もあります。19歳、20歳の若者には責任は大きかったですが、それ以上に素晴らしい経験でした」

そんな旅の日々の中で、後に妻となるドナと出会う。ドナが西オーストラリア州からシドニーに移ってきたことで、ふたりの人生の新たな章が始まった。

「独身で旅暮らしだった頃は、毎晩テイクアウトとビールで過ごしていて、体重は60~61キロぐらいでした。でもドナがシドニーに来てからは生活習慣が改善して体重も減りました。そのとき、真剣に騎手を目指してみようと思ったんです」

「最初は数年で終わると思っていましたが、結局20年近く続きました。素晴らしい時期でしたし、本当に良い経験でした。ただ今思えば、2年くらいは長く乗りすぎたかもしれませんね」

ニューナムはその後、騎手兼任の調教助手として一目置かれるキャリアを築いた。ケンブラグランジ競馬場では3度のリーディングに輝き、マカオや韓国でも騎乗経験を積んだ。そして何より、ゲイ・ウォーターハウス調教師との名コンビとして知られている。

ニューナムが騎手を引退したのは2011年。引退後はゲイ・ウォーターハウスのタロックロッジ調教場で調教助手としてのキャリアに身を置いたが、実は10年前のある出来事が、調教師という道を真剣に考えるきっかけになっていた。

「2001年、ホークスベリー競馬場でゲイの馬に乗っていて落馬し、肩を骨折しました」

「ほとんど何もできない状態でしたが、2週間も経たないうちにゲイが馬の時計を計らせたり、調教を見させたりしました。『絶対に役に立つから』と言ってくれたんです」

「彼女の言う通りでした。日々のリズムを保てましたし、学ぶことも多かったです。片腕に三角巾を巻いたままストップウォッチを持ち、もう一方の手には双眼鏡。あの時間がなければ、自分が調教師を目指すなんて考えなかったと思います」

Trainer Mark Newnham at Botany Bay
MARK NEWNHAM / Botany Bay, Sydney // 2020 /// Photo by Mark Evans

やがてニューナムはウォーターハウスの厩舎で欠かせない存在となり、2012年のゴールデンスリッパーを制したピエロの調教も担当した。バート・カミングス調教師の下でG1馬たちと過ごした経験に続き、ニューナムはまたしても一流馬との時間を重ねていく。

「本当に幸運だったと思います。最初からずっと、素晴らしい馬たちと一緒に過ごせたことで、いい馬というものを理解し、どう扱うべきかを学ぶことが出来ました」

「ゲイのところにいた時からずっとそうでしたから、独立した時もいい馬が手元にいるという状況に戸惑いはありませんでした。でも、これまであまりそういう馬と接してこなかった調教師の中には、急にいい馬が一頭手に入ったときに、そのような経験をしていないことで、物事を考えすぎてしまう人もいると思います」

やがて、ウォーターハウス調教師のアシスタントとしてエイドリアン・ボット氏が迎えられることになり、ニューナムは重大な決断を迫られることになる。残って『ナンバー3』になるか、独立して勝負に出るか…。

「もちろん、ゲイがビジネスを売却したことで状況は大きく変わりました」とニューナムは振り返る。ここに残ると決めれば、2番手から3番手に下がることになる。そこでニューナムは賭けに出ることにした。2016年に独立し、3年間で成功しなければ辞めるつもりだった。

「独立して最初の半年間は『本当にこれで良かったのか?』という思いばかりでした。でも徐々に出走馬が増え、勝つ馬も出てきて、流れに乗れました」

「3年と決めて全力を注ぎました。正直に言えば、もし結果が出ていなければ辞めていました。10頭か15頭でローカル開催を回って生計を立てるような生活は、自分が積み重ねてきた努力に見合うものではなかったからです」

結果として、ニューナムが築いた厩舎は400勝以上をあげ、G1制覇も達成し、馬に焦点を置いた独自の調教スタイルを確立した。ニューナムは150頭以上を抱える大規模厩舎ではなく、馬一頭一頭の個性を見極められる規模を守る道を選んだ。

「大規模厩舎の調教師は、もはや会社のCEOみたいなものです。私はそういうのをやりたいわけではないんです」とニューナムは語る。

「私が毎朝早く起きる理由は、馬が好きだからです。今でも調教に乗るのが好きだし、厩舎を歩いてすべての馬の顔を見て回るのが楽しい。でも、150頭とか200頭を管理するようになったら、さすがに無理があります」

そういった意味でも、香港という環境はニューナムにとって理想的だった。今季2年目を迎えたニューナムの管理馬は現在68頭。最大収容数70頭の枠に、ほぼぴたりと収まっている。

Luke Ferraris, Mark Newnham and wife Donna celebrate My Wish's win
LUKE FERRARIS, MARK & DONNA NEWNHAM / Hong Kong Classic Mile // Sha Tin /// 2025 //// Photo by HKJC

競争が極めて激しい香港で、ニューナムは今季シャティンで飛躍を見せている南アフリカ出身の若手ルーク・フェラリス騎手の『育成者』としての腕も見せている。

オーストラリア時代にも、ロビー・ドーラン、トム・シェリー、タイラー・シラーという3人の見習いリーディング騎手を輩出しており、ニューナムの下から巣立った若者たちは今でもニューナムを慕っている。

「今でも相談されますよ。特に騎乗停止が絡んだ時は『これは異議申し立てできますか、ボス?』って聞いてくるんです」と語るところに、スタッフのヘンリーが入ってきて、ハッピーバレーへの出走予定を確認し始めた。

「去年ロビーがメルボルンカップを勝った時は、ドナ(妻)とふたりでラウンジで大声で応援してました。レース後にメッセージを送ったら、まさかと思いましたがその日のうちに電話がかかってきたんです。『母の次に電話してます』って。思わず笑いましたね」

「今でもシドニーのレースがテレビに映ると、ドナが『うちの子たち、誰か乗ってる?』って聞いてくれるんです。なんだかうれしいですよね」

フェラリスは見習い騎手ではないが、23歳という年齢は香港で最年少の外国人騎手であり、今やニューナムの庇護下にあると言っていい。彼が今季挙げた36勝のうち3分の1が、ニューナム厩舎の馬によるものだ。

そして今週日曜日、ニューナムとフェラリスは、あの悔しさを晴らす一戦に臨む。マイウィッシュの初めてG1の舞台、チャンピオンズマイルである。

今回か、12月か、あるいは次のシーズンになるか分からないが、ニューナムはこの馬がトップレベルで通用すると考えている。その口調には単なる希望ではなく、確かな『確信』がにじむ。シドニーの記者室で少年時代を過ごし、片腕で時計を持ち調教を見守り、そして独立という大きな決断を経てきた男の重ねた日々が作り上げた信念だ。

「2023年6月に香港に来て、もうこのような馬が手元にいます。そうするともっと欲しくなりますよね、当然」と笑ったニューナム。

ニューナムが才能ある馬を手にしたとき、その才能は必ず形となって表れるだろう。

ジャック・ダウリング、Idol Horseのレーシングジャーナリスト。2012年、グッドウッド競馬場で行われたサセックスステークスでフランケルが圧勝する姿を見て以来、競馬に情熱を注いできた。イギリス、アメリカ、フランスの競馬を取材した後、2023年に香港へ移る。サウス・チャイナ・モーニング・ポスト、レーシング・ポスト、PA Mediaなどでの執筆経験がある

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