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地方の小さな厩舎から香港の短距離トップへ?「トモダチココロエ」の奇妙な冒険

クイーンズランド州最北の街で走っていた無名の地方馬は、移籍先の香港で歴代2位の最速タイムを叩き出し、あのカーインライジングに挑戦状を叩きつけようとしている。

地方の小さな厩舎から香港の短距離トップへ?「トモダチココロエ」の奇妙な冒険

クイーンズランド州最北の街で走っていた無名の地方馬は、移籍先の香港で歴代2位の最速タイムを叩き出し、あのカーインライジングに挑戦状を叩きつけようとしている。

トモダチココロエがシャティンで走るとき、前任のリッキー・ルドウィグ調教師は夕暮れのケアンズで、テレビに釘付けになる。かつての管理馬がゴール板を駆け抜ける頃には、クイーンズランド州最北部の夕暮れもすっかり更けている。そして勝つたびに、彼の携帯電話は鳴りやまなくなる。

「この馬が勝ったら眠れませんよ」とルドウィグは言う。そんな夜が今季すでに3度あった。3度とも、ルドウィグは夜遅くまで届き続けるメッセージに返信し続けてきた。

勝利を重ねるごとに、決まって送られてくる質問がある。「香港スプリント戦線でここまで大物となった一頭を売ってしまったことを後悔していませんか」という、避けて通れない問いだ。

ルドウィグの答えは、即答だった。

「いやいや、そういう後悔はしませんよ。馬代はきちんと払ってくれましたし、私はその金額に満足していました。その時としては良い金額でしたし、そもそも彼はうちでも6戦で9万8000豪ドルを稼いでくれたんだからね!」と笑う。

熱帯のケアンズから香港までは遠い。しかし、この馬にまつわるすべてが、最初から“旅”そのものだった。

ケアンズはブリスベンよりも、パプアニューギニアの方が近い町だ。オーストラリア東海岸における競馬の最北拠点であり、TABでの馬券発売対象レースが、クイーンズランド州で最後に行われる競馬場でもある。

ここでルドウィグは、引退して何もしないでいると妻のベリルさんをイライラさせてしまうからと、2〜3頭だけ馬を手元に置いている。長年ブリスベン近郊で調教師をしてきたが、その規模はすっかり縮小していた。

「ここに越してきたときに引退したんです」と彼は説明する。「もう他人の馬は調教していません。自分の馬だけです。でも妻に『馬を一頭持ちなさい。あなたのせいで私がおかしくなりそうよ』と言われましてね」

「そのおかげで運が良かった。今のところ、持った馬の9割は自分の食い扶持くらいはちゃんと稼いでくれています」

2022年初頭、ルドウィグがイングリスデジタル(オンラインセールサイト)を眺めていると、ロット1が目に留まった。父にリトゥンタイクーンを持つ3歳騸馬で、マイク・モロニー厩舎で3戦して未勝利。マジックミリオンズの1歳馬セールでは19万豪ドルで落札された馬だったが、今回はそれよりずっと安い価格で放出されていた。

ルドウィグは何本か電話をかけた。モロニー師は、その馬自体には何の問題もなく、単にオーナー側の事情で売らなければならないだけだと説明した。放牧先の牧場も同じことを言った。「とてもきれいな馬で、問題はなく、性格も至って大人しい」と太鼓判を押したのだ。

「この馬は私と同じ10月5日生まれだったんです」とルドウィグは笑う。「それで『これは買わなきゃいけない』となりましたよね」

落札額は、2万5000豪ドル(約250万円)。当時、バンクバンクバンクという名前だったその馬は、ルドウィグの所有馬になった。

Bank Bank Bank wins at Townsville
BANK BANK BANK, FRANK EDWARDS / Townsville // 2022 /// Photo by Greg Irvine

メルボルンからケアンズまで、馬運車での旅は48時間。途中でカラウンドラに1週間立ち寄って休ませながらの長距離輸送だったが、それはこの馬の旅路のほんの序章に過ぎなかった。トラックから降りてきたのは洗練された馬ではなく、ひたすらパワフルな馬だった。

「大きくて、がっしりした馬でねぇ……とにかく迫力あるタイプでした」とルドウィグは振り返る。「気性が悪いわけではないんですが、主導権を握りたがるんです」と言いながら、血統表には載らない厩舎での奇妙な癖を笑い話にする。

「彼はウサギを殺すんです。ウサギが馬房の足元に入り込んでしまうと、次に見ると死んでいる。踏みつけてしまうんですよ」

去勢しても、その一面は収まらなかった。バンクバンクバンクは、隣の馬房の馬に柵越しにケンカを売り、怪我をしそうになったため、ルドウィグは隣の馬房を空けておかなければならなかった。ただし、ひとたびコースに出れば話は別だった。

「最初の追い切りでは、デイブ・クロスランド騎手に乗ってもらいました。彼はトップクラスの騎手で、年齢的にはベテランでしたが、腕はまだまだ確かでした」

「戻ってきたとき、最初はあまり何も言わなかった。ところが急に『どこからこの馬を掠め取ってきたんだ』と言うんですよ」

「私は『アサートンで1つ勝てるくらいかな』と答えました。すると彼は『いや、この馬は連れて行ったどの競馬場でも勝てる。これまで乗った中で一番の馬だ』と言ったんです」

そのクロスランドは当時、北クイーンズランドの英雄だったタイゾーンにも騎乗していた。タイゾーンもバンクバンクバンクと同じく父はリトゥンタイクーン。ケアンズから頭角を現し、やがてブリスベンのG1・BRCスプリントを制した馬だ。

「そんな彼が、バンクバンクバンクの方が上だと言ったんです」とルドウィグは続ける。「そして、それが当たってしまった」

バンクバンクバンクは875mから1500mまでの距離で勝ち星を重ね、タウンズビル競馬場ではコースレコードも塗り替えた。やがて香港のバイヤーから声がかかるようになったが、香港に輸出可能な条件を満たすのは簡単ではなかった。

そもそも、ケアンズから香港に買われていく馬などほとんどいないのだ。

「もし最後のレースで勝っていなかったら、香港には行けませんでした」とルドウィグは言う。「レーティングが足りなかったんです。現役馬の輸出には最低でも63が必要で、当初組んだ6戦すべてを勝たせなければなりませんでした」

香港のタクサムシンジケートへの売却額は、40万豪ドル弱(約4000万円)だった。売却に合意してから獣医検査が済んでゴーサインが出るまでの間、娘のサンドラとカレンは、厩舎の前に大きなゴミ袋を置いていった。中身は何だったのか。

「開けてみたらプチプチ(気泡緩衝材)がぎっしり」とルドウィグは笑う。「つまり、『売れる前に何も起こらないように包んでおいて!』ってわけですよ。神経がすり減るような数週間でしたよ、本当に」

では、契約が無事にまとまったあと、その臨時収入で何か良いものを買ったのだろうか。

「実を言うとよ、振り込まれた金を見たことがないんだな」と肩をすくめる。

なぜかと尋ねると、答えはこうだ。

「妻が自分の口座に入れちまった。アンタ、奥さんが自分の金を見せると思うか?」と、すぐそばにいるベリルの顔を伺いながらニヤリとする。

「妻曰く『あんたはどうせまた馬を買うでしょう』ってわけですよ。今では、その銀行口座の利息がうちの食料品になってますよ」

香港競馬へと移籍したバンクバンクバンクは『トモダチココロエ』と改名され、新しい環境に慣れるまでに時間を要した。

3シーズンで4勝を挙げたものの、2025年の終わり頃には585日間、実に17戦連続で勝利から遠ざかっていた。レーティングは94まで上昇、三桁に近いあたりは相手関係のレベルが一気に上がり、多くの馬にとって“クラスの壁”となるゾーンでもある。

そして7歳を迎えた今シーズン、ついに何かが噛み合った。

デヴィッド・ヘイズ調教師が片目ブリンカーを装着し、ハリー・ベントレー騎手が手綱を取るようになったのだ。ただ、ルドウィグが見るところ、決定的な変化はもっと単純なところにある。

「ハッピーバレーでは、彼のスピードを生かして前へ行かせる乗り方をしていました」

「私が持っていたときは、距離が800mでも1400mでも、決してハナには立たせませんでした。後ろから運んでこそなんです。いくらでもスピードがある馬ですが、いったん落ち着かせてやれば、最後にしっかり伸びてきます。今のベントレーは、まさにその乗り方をしています」

どんな要素が噛み合っているにせよ、その効果は明らかだ。トモダチココロエは3連勝中で、そのうち2度、シャティンの1200メートル戦で68秒の壁を破っている。マークした67.68秒という時計は、このコースの歴代2位の速さだ。

その最速記録を持つのは、同じ厩舎の大エース、カーインライジングである。香港年度代表馬に選ばれ、ジ・エベレストを含む14連勝をマークしている。

11月23日のG2・ジョッキークラブスプリントでも断然の一番人気に推される存在だ。その怪物が、シンデレラストーリーを叩き潰さんと待ち構えている。

2頭は、12月のG1・香港スプリントで再び顔を合わせる公算が大きい。そのときには、ルドウィグも現地シャティンに足を運び、直接レースを見届けるつもりだ。

トモダチココロエがカーインライジングを打ち負かすまでの道のりは、メルボルンからケアンズまでの馬運車の旅にも匹敵するくらい長いかもしれない。それでもルドウィグは、あえて夢を見る。

「ハンデ戦なら、自信を持てるんですけどね。でも、何が起きるかは誰にも分かりません。カーインライジングはジ・エベレストのために遠征している。何か遠征のダメージがあるかもしれないでしょ……」

そう言って、言葉を宙に浮かせたままにする。

もしトモダチココロエがカーインライジングを倒すことになれば、それは香港競馬史上屈指の大番狂わせとして名を刻むだろう。2005年のG1・チャンピオンズマイルで、ブリッシュラックが同じ厩舎のサイレントウィットネスの17連勝を止めたあの一戦をも上回るインパクトかもしれない。

とはいえ、この馬が歩んできた道のりを考えれば、「あり得ない」と言い切れる人がどれほどいるだろうか。これまでにこの馬が歩んできた出来事と比べても、決して可能性が低いとは言い切れないのだ。

オーストラリア北部では、希望はいつだって湧き上がっている。昨年もルドウィグがオンラインセールを眺めていると、またしても気になる存在を見つけた。バンクバンクバンクの、まだデビューしていない2歳の半弟で、しかも再びロット1だったのだ。

「こいつは縁起がいい」とルドウィグは思った。「それだけで十分でした」

父ジャングルキャットのその若駒は、今まさにトライアルに向けて調教を積んでいる。そしてルドウィグは、すでにその名を決めている。

名付けられた名前は、バンクインタレスト(銀行利息)だ。

マイケル・コックス、Idol Horseの編集長。オーストラリアのニューカッスルやハンターバレー地域でハーネスレース(繋駕速歩競走)に携わる一家に生まれ、競馬記者として19年以上の活動経験を持っている。香港競馬の取材に定評があり、これまで寄稿したメディアにはサウス・チャイナ・モーニング・ポスト、ジ・エイジ、ヘラルド・サン、AAP通信、アジアン・レーシング・レポート、イラワラ・マーキュリーなどが含まれる。

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