パリロンシャン競馬場で行われる至高の一戦、G1・凱旋門賞はヨーロッパ秋競馬の最高峰といえるだろう。
今週の日曜日、日本中の期待を一身に集めるクロワデュノール、アロヒアリイ、ビザンチンドリームの3頭が、クアリフィカー、ソジー、アヴァンチュールとカルパナ、そして3歳牝馬のスター、ミニーホークら欧州の強豪と大混戦の一戦に挑む。
このレースは数々の名勝負を生み、偉大なチャンピオンを世に送り出してきたが、同時に衝撃的な結末や物議を醸す出来事も多い。ここでは、Idol Horseが選ぶ凱旋門賞の「衝撃の瞬間」5選を振り返る。
5. セントクレスピン vs ミッドナイトサン(1959年)
1959年の凱旋門賞は、人気馬の敗北、5頭横一線の大接戦、同着、そして失格と、波乱の要素がすべて揃っていた。
当時のフランスのスター牡馬で、G1・ジョッケクルブ賞を制したエルバジェが断然人気に推されていたが、凡走して10着に敗れた。先頭ではミッドナイトサンが粘り、直線でプリメラとセントクレスピンが並びかけた。残り1ハロンでプリメラが失速すると、セントクレスピンが前に出るかに見えたが、ミッドナイトサンが勇敢に食い下がり、2頭は並んでゴール。
後方から猛追したミカリーナとルルーガルーをわずかに抑えた。12分間の緊張の末、一時は同着と発表された。
だが、両陣営は異議を申し立てた。セントクレスピンのジョージ・ムーア騎手は「ミッドナイトサンが斜行した」と主張し、ミッドナイトサンのジャン・ファーブル騎手も異議を唱えた。最終的にファーブルは騎乗停止となり、ムーア騎乗のセントクレスピンが繰り上げ優勝。
これは1925年のプリオリ以来、2度目の「失格による凱旋門賞勝利」となった。
4. ササフラ、ニジンスキーを撃破(1970年)
1970年の凱旋門賞は、ニジンスキーが歴史的なシーズンを締めくくる絶好の舞台となるはずだった。ヴィンセント・オブライエン厩舎のニジンスキーは、35年ぶりの英三冠を達成し、G1・キングジョージでも古馬を撃破していた。
ロンシャンの直線、レスター・ピゴット騎手に導かれたニジンスキーは、ササフラとの差を猛然と詰め、ついには並びかけてわずかにリードを奪った。だが、勝利目前で突如左に逸れ、ムチとライバルを嫌うように失速した。最後の数完歩で勝利は敗北に変わり、ササフラがクビ差で先着した。
3. ソレミアがオルフェーヴルを強襲(2012年)
池江泰寿調教師が管理する三冠馬のオルフェーヴルは、2012年に数々の実績と気性難を抱えてロンシャン競馬場に姿を現した。春のG2・阪神大賞典では残り半マイルの地点から口を割り、ほとんど立ち止まるような走りを見せながらも、再び加速して勝ち馬に半馬身差まで詰めてみせた。
その後6月にG1・宝塚記念を制し、さらにフランスに渡ってからは凱旋門賞と同じ舞台で行われるG2・フォワ賞を快勝。そして3週間後の大一番、残り2ハロンの時点でオルフェーヴルは手応え抜群、クリストフ・スミヨン騎手は自信に満ちた騎乗で、ファンは勝利への期待を膨らませていた。
残り1ハロン半でスミヨンがゴーサインを出すと、オルフェーヴルは一気に加速し、まさに勝利を予感させる力強い伸びで先頭に躍り出た。ファンは歓声を上げたが、そこから気性難が顔を出した。
残り250m、勝利を完全に手中に収めたかに見えた瞬間、オルフェーヴルは大きく右へ斜行し、内ラチにぶつかり失速し始めた。不運にも、34倍の伏兵だったソレミアが生涯最高の走りを見せ、直線力強く伸びてクビ差で差し切った。
これは凱旋門賞での日本馬史上最大級の悲劇として、今でも語り継がれている。

2. ディープインパクトの「失格」
オルフェーヴルの悪夢からさかのぼること6年前、日本競馬の象徴、ディープインパクトが国民の期待を背負い、そのコンパクトな馬体がロンシャンに姿を現した。
三冠馬にしてスターホース、同じ「池江厩舎」の所属だが、管理していたのは池江泰寿調教師ではなくその父・池江泰郎調教師だった。凱旋門賞では残り2ハロンで先頭に立って見せ場を作ったものの、最後に失速し、勝ったレイルリンクに敗れて3着に終わった。
フランスでの敗戦は、天皇賞春、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念といった勝利も含まれる14戦のキャリアのうち、わずか2度の敗戦の一つだった。なお、後者2つはこのパリでの敗戦後に挙げた勝利である。
しかし、ファンにとって失望はそこで終わらず、続いてさらなる衝撃が走った。10月中旬、フランスギャロの発表で、レース後の定期的な検査により、このサンデーサイレンス産駒の体内から、呼吸器疾患の治療に用いられる禁止薬物のイプラトロピウムが検出されたことが明らかになった。
続く11月中旬には正式裁定が下され、日本が誇るスターホースで、後に日本競馬史上最高の種牡馬となる同馬は、3着から失格となり、池江調教師には1万5000ユーロの罰金が科された。
1. 決着はエデリーの「異議」
1959年のセントクレスピン対ミッドナイトサンから25年後、1985年の凱旋門賞はレインボウクエストとサガスの名勝負となり、史上3度目の失格劇を生んだ。二度目の凱旋門賞制覇を狙ったサガスは、直線入り口でペースメーカーのエラルディストが内を空けると、予定通りに最内から抜け出して先頭に立った。
しかしそこから、パット・エデリー騎乗のレインボウクエストが猛然と追撃。2頭は激しくぶつかり合うように競り合い、サガスが外へヨレる場面もあった。それでも最後はサガスが立て直し、クビ差で勝利したかに見えた。
それでも、エデリー騎手が直後に異議を申し立てる。審議の結果、ロンシャンの裁決委員はサガスを失格とし、勝利はレインボウクエストへ。フランスの競馬ファンにとっては、長年の語り草となる決定的の裁定となった。
番外編
1975年、ドイツ馬スターアピールは同年のエクリプスステークスを勝ちながら、その後3戦は連敗を喫していた。それでも本番のロンシャンでは、前年女王のアレフランスに挑み、史上最高配当の単勝118倍で大金星を挙げた。
近年では、2021年にドイツ馬トルカータータッソが単勝73倍で制覇。単勝4倍の1番人気だったハリケーンレーンを含む他の強豪13頭を退け、衝撃の決着を演出した。
歴史をさかのぼれば、1967年にもトピオが29頭の強敵を退け、単勝83倍で勝利を勝ち取った。凱旋門賞が常識を覆す舞台であることを改めて示している。