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「荒尾競馬場からロイヤルアスコットへ」アスフォーラと共に世界最高峰の舞台に上り詰めた、日本人調教助手・森信也の知られざるストーリー

英国ロイヤルアスコット開催、G1・キングチャールズ3世ステークス。短距離最高峰のレースで、オーストラリアのスプリンター・アスフォーラ(Asfoora)が優勝した。この偉業を陰で支えた日本人ホースマン「シャイニー」こと森信也氏は、かつて廃止された地方競馬の荒尾競馬場で働いていたという。

「荒尾競馬場からロイヤルアスコットへ」アスフォーラと共に世界最高峰の舞台に上り詰めた、日本人調教助手・森信也の知られざるストーリー

英国ロイヤルアスコット開催、G1・キングチャールズ3世ステークス。短距離最高峰のレースで、オーストラリアのスプリンター・アスフォーラ(Asfoora)が優勝した。この偉業を陰で支えた日本人ホースマン「シャイニー」こと森信也氏は、かつて廃止された地方競馬の荒尾競馬場で働いていたという。

オーストラリアの調教助手として働く森信也氏は、普段は「シャイニー(Shiny)」と呼ばれている。この日、普段は冷静なシャイニーは喜びを爆発させていた。

「普段はいつも冷静で、担当馬が勝ってもここまでは喜びません」と、妻のトモミさんは説明する。

しかし、今日は違う。まさに千載一遇、一生に一度かもしれない光景が目の前で広がっていたのだ。ゴール板のすぐ近くで同僚のシェネル・エリス氏とレースを見ていた森は、その喜びを抑えきれなかった。叫び、跳び、腕を振り回して歓喜の瞬間を味わっていた。

「叫んで、飛び跳ねまくっていました。本当に信じられない瞬間でした、一番感動した瞬間でした」

そう語る森は、調教助手としてアスフォーラを担当している。エリスは厩務員としてアスフォーラの面倒を見ており、この陣営はロイヤルアスコットのG1・キングチャールズ3世Sで勝利を収めたばかりだった。

森、エリス、そして調教師のヘンリー・ドワイヤーは、オーストラリアのバララットから遙か遠くの地へと向かい、異国の地でオーストラリア史上8頭目となるロイヤルアスコット優勝馬を支えていた。

日本の最南端にあった地方競馬場で働いていた調教助手が、今やシルクハットと燕尾服を着て、世界最高峰の開催で拍手喝采を浴びていた。

Shinya Mori, Asfoora's groom
SHINYA MORI / Royal Ascot // 2024 /// Photo supplied

荒尾競馬場からオーストラリアへ

44歳の森は、公務員の一家に生まれた。父は鹿児島市の市役所職員で、乗馬や競馬とは無縁の家庭で育った。しかし、テレビで名馬の雄姿を見たり、競馬ゲーム「ダービースタリオン」を通じて、この競馬というスポーツに夢中になっていった。

彼が馬に乗り始めたのは、16歳のときだった。夏休みの間、地元の小さな牧場で働いて、乗馬の基礎や馬の扱い方を学んでいった。

「一人のファンとして、興味があっただけです」と彼は語るが、高校を卒業すると早速牧場で働き始めた。その3ヶ月後、彼は競馬の世界に飛び込むことになる。

「そこを辞めて、荒尾競馬場で働くことになりました」

荒尾競馬場では深い砂地で馬を動かす乗り方を学び、今でもその技術はオーストラリアのドワイヤー厩舎で活かされている。

「荒尾競馬場で働く日々は楽しかったですが、レベルの高い馬となると少なかったかもしれません」

「勉強になる場所でしたが、残念ながら競馬場は苦境に陥っており、財政難でした」

90年代後半を懐かしみながら、競馬場や荒尾の競走馬について語ってくれた。

荒尾競馬場は彼の地元である鹿児島と同じ九州にあるが、実家とは200キロ以上離れている。森が荒尾で働き始めたのは、1990年代の地方競馬全盛期を過ぎて、ちょうど売上と入場者数が徐々に下がり始めていた時期だった。

地方競馬全体の年間馬券売上が過去最低の3314億円に落ち込んだ2011年、荒尾競馬場は廃止された。森はこの頃既にオーストラリアに渡っており、ヴィクトリア州の競馬の街・バララットでトラックワークライダー(調教助手)として働いていた。

「2006年にワーキングホリデーでオーストラリアに行き、そのまま移住しました。現地で厩舎を開業していた繁実剛調教師のもとで、5〜6年間ほど働いていました。それ以来バララットの街が気に入ってずっとここに住んでいるのですが、その後はサイモン・モリッシュ厩舎や、現在のヘンリー・ドワイヤー厩舎で働いています」

ASFOORA / G1 King Charles III Stakes // Ascot /// 2024 //// Photo by Bryn Lennon

彼は調教助手だけでなく、馬主としての顔も持つ。日本人馬主向けにオーストラリア競馬で走らせる馬を提供している、『ライジングサンシンジケート』でレーシングマネージャー兼ブラッドストックマネージャーを務めているのだ。

「日本のステイヤー、長距離馬を輸入しています。オーストラリアは短距離路線は層が厚いのですが、長距離路線はまだまだ付け入る隙があります。日本産のステイヤーは、オーストラリアでも充分チャンスがあります」

オーストラリアからロイヤルアスコットへ

ドワイヤー調教師がアスフォーラをロイヤルアスコットに遠征させるという計画を立ち上げたとき、本当にその判断が合っているのか疑問に思ったと彼は率直に語ってくれた。

「アスフォーラは強い馬ですが、まだG1は勝っていません。海外遠征となると、レベルを一段階飛ばしているようなものです。しかし、見事期待に応えてくれました。本当に素晴らしい走りでした」

ドワイヤー調教師、滞在先のイギリスで2ヶ月間面倒を見ていたエリス厩務員、そして、10日前に駆けつけて現地での最終追い切りを担当した森調教助手。陣営全員の努力によって、この偉業は成し遂げられた。

森にとって、ニューマーケットの環境は初めての体験だった。広大な土地が広がる2500エーカーのニューマーケットヒースには、14マイルのオースウェザーコースと50マイルの芝コースが整備されている。直線、カーブ、上り坂、平坦、起伏の激しいコースなどあらゆる条件に対応しており、緑豊かな環境で競走馬のトレーニングを行える。

「日本のトレセンでは働いた経験がなく、荒尾のダートコースしか経験がありませんでした。オーストラリアに来る前は、それが全てでした」

そして、最も衝撃的だったのはコースだった。

「イギリスでは、調教コースにレール(ラチ)がありません。レールのないコースを調教で走るのは初めてだったので、少し緊張しました」

「アスフォーラは臆病な一面があります。乗り心地は良く、走りに問題はありません。しかし、コース脇にいる人や木など動くものを見ると、ビックリしてしまうんです」

「コースに枝や木の棒が落ちていると、動かなくなることがあるんです。立ち止まって観察し、触ってみて、怖くないことを確認すると歩き始めます。ちょっと変わったところがありますね」

Asfoora and Shinya Mori
ASFOORA, SHINYA MORI, HENRY DWYER / Newmarket // 2024 /// Photo by Henry Dwyer Racing

ニューマーケットには、ウォーレンヒル調教場という有名な坂路コースが存在する。今回、アスフォーラに騎乗して走る機会はなかったが、地元の調教師の協力を得て走ることができた。

「アスフォーラはエイミー・マーフィー厩舎に滞在していたので、朝の調教を終えた後は、エイミーとハリー・ユースタス厩舎の手伝いをしていました。コース調教で何鞍か任せてくれて、とても良い経験になりました」

「ウォーレンヒルは初めてなのですが、ハリー・ユースタス調教師が1回調教で乗せてくれました。コースは馬場に厚みがあり、クッション性が高く、馬にとっては理想的なコースです」

「そして、坂の頂上からの眺めも素晴らしい。調教終わりには森の中を歩いて、馬を落ち着かせることができます」

そして、ロイヤルアスコットからオーストラリアへ

愛馬のアスフォーラが1着で駆け抜けた直後は喜びを隠しきれなかった森だが、その仕事に抜かりはない。

テレビカメラは森とエリスが満面の笑みでグータッチする姿を捉えていたが、その後すぐさまいつもの冷静な仕事ぶりに戻った。手綱を厩務員に渡し、愛馬が無事に鞍を外したことを確認すると、表彰式へと向かう陣営を見送って人混みの中に消えていった。

仕事が終わればバララットに戻り、いつも通りトラックワークライダーとしての生活に戻る。しかし、日本と、そして荒尾競馬場で培われた経験と技術が、彼の中で色褪せることはないだろう。

デイヴィッド・モーガン、Idol Horseのチーフジャーナリスト。イギリス・ダラム州に生まれ、幼少期からスポーツ好きだったが、10歳の時に競馬に出会い夢中になった。香港ジョッキークラブで上級競馬記者、そして競馬編集者として9年間勤務した経験があり、香港と日本の競馬に関する豊富な知識を持っている。ドバイで働いた経験もある他、ロンドンのレースニュース社にも数年間在籍していた。これまで寄稿したメディアには、レーシングポスト、ANZブラッドストックニュース、インターナショナルサラブレッド、TDN(サラブレッド・デイリー・ニュース)、アジアン・レーシング・レポートなどが含まれる。

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