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世界最高賞金の芝レース、『ジ・エベレスト』。レーシングNSWが出走枠の購入候補者をリストアップする際、ドッグフードからIT企業、プライベートエクイティにまで手を伸ばす “クリケット狂” の大富豪が名を連ねるとは、正直なところ想定外だった。

だが先月、そのジ・エベレストに参画する稀有な機会が与えられ、手を挙げたのは実業家のマイケル・グレッグ氏だった。

「眉唾物どころではない驚きだった」と言っても過言ではない。

グレッグ氏の所有するマルベリーレーシングは、まだ歩みを始めたばかりの新興勢力だ。その勝負服は、彼が愛してやまないニューサウスウェールズ大学クリケットクラブ(UNSW)の黄色と黒の縞模様を模したもの。同クラブは、ジェフ・ローソンやマイケル・スレーターといった往年の名選手を輩出した名門でもある。

グレッグ氏と競馬の最初の接点、それを知る者は少ない。その始まりは、まさに“突如”だった。2019年、ホークスベリーを拠点とするブラッド・ウィダップ調教師のもとに、見知らぬ番号から電話がかかってきたという。その電話の主こそが、オーストラリア競馬での馬主業を熱望するマイケル・グレッグ氏だったのだ。

当時のウィダップ調教師は、まさに苦境に立たされていた。主力オーナーであったダミオン・フラワー氏が、南アフリカからのコカイン密輸に関する大規模捜査で逮捕(ウィダップ調教師が事件に関与していたという証拠や示唆は一切ない)され、後にフラワー氏は懲役28年の判決を受けた。

それでも、シドニー北西の小さな町、ホークスベリーで育てた名門ウィダップ厩舎の馬たちは、規模に見合わぬ活躍を見せていた。グレッグ氏の友人が独自の競馬評論家として活動しており、そこでもウィダップ厩舎は常に高評価を得ていた。

こうして二人の縁がつながり、翌年にはグレッグ氏の初所有馬「ザグランドラー」が登場した。未勝利戦と、ゴールバーン競馬場のクラス1を制したに過ぎない控えめな戦績ながら、新たな旅の第一歩となった。

そして2021年、次なる勝負に出る。グレッグ氏はサヴァビール産駒のスプリンターを購入。名前は「ジェディビール」。この馬は後にG2・チャレンジステークスを制し、G1の舞台にも名を連ねるまでに成長したのだ。

二人三脚の歩みはさらに加速する。今年初めには、ゴールドコーストのマジックミリオンズセールで、ホームアフェアーズ産駒の牝馬を70万豪ドル(約7,000万円)で落札。ウィダップ調教師を米国に派遣し、繁殖牝馬候補探しも始まった。

では、グレッグ氏はどのようにして巨額の資産を築いたのか。

創業間もない馬主業と同様に、グレッグ氏が成功を収めたのは、物事の初期段階での投資機会をいち早く見抜く力によるものだった。昨年、『オーストラリアン・ファイナンシャル・レビュー』紙は、彼の資産を11億豪ドル(約1,100億円)と推定している。

中でも最大の勝負となったのは、ASX(オーストラリア証券取引所)上場のソフトウェア企業『ワイズテック・グローバル』への初期投資だった。この企業は、早期から支援していた投資家に莫大な利益をもたらしており、グレッグ氏もその一人である。

さらにグレッグ氏は、プライベートエクイティ分野でも活発に活動している。彼はシェアウォーター・キャピタルの創業者の一人として名を連ねるほか、バイオテクノロジー企業『GPNワクチンズ』にも多額の出資を行ってきた。

そんな彼が、経営難に陥った大手ギャンブル企業、ザ・スターが手放したジ・エベレストの出走枠に応募したことで、レーシングNSWのデスクに書類が届いた。その挑戦は、まさに “型破り” を歓迎するこのレースの理念に合致していた。

ジ・エベレストにはすでに、TAB(タブコープ)、クールモア、ユーロン、ゴドルフィン、そしてサラブレッドのセリ会社イングリスといった、世界的に名の知れた競馬界の巨頭たちが名を連ねている。そこに、異分野からの風を吹き込む億万長者のIT投資家が加わるのは、むしろ自然な流れだったのかもしれない。

では、マルベリーレーシングとは一体どのような存在なのか。そして、今後3年間のスロット保有権に非公表の金額を支払い、異なる形でジ・エベレストを盛り上げようとするその意図とは何か。

Bella Nipotina and Craig Wiliams
CRAIG WILLIAMS, BELLA NIPOTINA / G1 The Everest // Randwick /// 2024 //// Photo by David Gray

チーム名の『マルベリー(桑の実)』は、伝説的なイタリアの名種牡馬生産者フェデリコ・テシオに由来している。彼の牧場には桑の木が多く植えられていたことにちなんだもので、テシオは20世紀前半に数々の名馬を育て上げ、「イタリア競馬史上、最も偉大な一人」と称された人物だ。

マルベリーレーシングの実務を担うのは、グレッグ氏の孫であるラクラン・シェリダン氏だ。彼らの目指すのは、育成も競走も既存の常識にとらわれない新たなアプローチである。

「マイク(グレッグ氏)は長年テクノロジー業界で働いてきた経験から、データと技術を活用すれば、1歳馬選びももっと精密にできるはずだと考えていました」と、シェリダン氏はIdol Horseに語る。

「初年度はある独自のシステムを使っていましたが、その後、自前の『GGX』という選定システムを開発することにしました」

「私たちは、どんな産業であっても、今後はデータと技術が鍵になると信じています。競馬も例外ではありません。GGXでは、データに基づく選定を基本とし、さらに調教師と連携して、遺伝子検査や戦績分析を併用しています」

科学とテクノロジーは、今や競馬と馬の生産の世界にも着実に影響を広げつつある。オーストラリアで最も革新的な調教師のひとり、キアロン・マー調教師も、将来的にAI(人工知能)の活用を模索していることを明かしている。

その中で、マルベリーレーシングは急速な成長を遂げている。現在、オーストラリア国内で40頭以上の2歳馬・1歳馬を抱え、米国でもブレンダン・ウォルシュ厩舎に6頭を預けている。

「私たちはこれまで、ブラッド・ウィダップ厩舎との強い絆を築いてきました。彼らの現代的な技術活用、革新的な調教法、そして馬を第一に考える慎重な姿勢は、マルベリーの理念と完全に一致しています」とシェリダン氏は語る。

「両陣営にとって最も重要なのは、常に馬を第一に考えることです」

マルベリーレーシングがジ・エベレストのスロットに支払った金額の詳細は明らかにされていない。しかし、レーシングNSWが通常のスロット保有者に課す金額は、年間で70万豪ドル。20億豪ドル規模のロイヤルランドウィックのスプリント戦に、1頭を選んで出走させる “特権” の対価である。

スロット獲得への関心が非常に高いことを踏まえれば、マルベリーレーシングがこれを上回る金額を提示した可能性も十分にある。そして彼らは、今後数年以内に、ジ・エベレストで走る自らの馬を持つことを目標にしている。

だが、このプロジェクトの本質的な意義は、テクノロジーの力で新たなファン層を呼び込むという “ジ・エベレストの理念” を、さらに一歩進めることにあるのかもしれない。

「現時点でプロモーションの詳細を明かすことはできませんが、ぜひご期待ください」と、シェリダン氏は話す。

「今年中に、私たちがどのような計画を予定しているのか、お見せできるはずです」

アダム・ペンギリー、ジャーナリスト。競馬を始めとする様々なスポーツで10年以上、速報ニュース、特集記事、コラム、分析、論説を執筆した実績を持つ。シドニー・モーニング・ヘラルドやイラワラ・マーキュリーなどの報道機関で勤務したほか、Sky RacingやSky Sports Radioのオンエアプレゼンターとしても活躍している。

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