「人生最高のマイラー」と再びターフに立つその日を、ロザリオンがG1・ロッキンジステークスで復帰するまで、ショーン・レヴィー騎手は333日間待ち続けた。
だが、そんな期間も、G1初勝利までに費やした13年の歳月に比べれば短いものだ。もちろん、ただ待っていたわけではない。競馬の世界では、待っているだけでは何も得られない。
努力し、厳しい日々を乗り越え、適切なタイミングで適切なコネクションを築き、結果を出し、そしてそのすべてを経て、幸運の女神が与えてくれるチャンスを掴んだ者に良いことが起こるのだ。
アイルランド、バリードイル調教場のエイダン・オブライエン厩舎に所属していた若き日のレヴィーは、G1の雰囲気に早くから慣れ親しんでいた。しかし騎乗馬は常に『脇役』だった。
本当のチャンスが訪れたのは30歳になった2018年5月、英国移籍から7年を経てのことだった。リチャード・ハノンJr.調教師の管理馬ビルズドンブルックに騎乗し、66倍の伏兵で英1000ギニーを制覇。現在ロザリオンを手がける陣営との縁はそこから始まっていた。
「正直、なんとも不思議な感じでしたね」とレヴィーはIdol Horseに語る。
「あの頃にはもう『G1を勝たないまま引退なんてできない』と思っていました。ようやく肩の荷が下りたというか。いいタイミングでしたし、それがきっかけでいろいろな道が開けました」
その後、ソールズベリーでの落馬により鎖骨を骨折し、4ヶ月の離脱を余儀なくされたのは良いタイミングではなかったが、それでも勢いは止まらなかった。翌年、再びビルズドンブルックでG1・サンチャリオットステークスを制覇し、さらにハノン厩舎のキングオブチェンジとのコンビでG1・クイーンエリザベス2世ステークスをもぎ取った。
2025年シーズンを迎える時点で、レヴィーのG1勝利数は9勝に達していた。2024年が自身最高の一年となった背景にはロザリオンの存在がある。G1・愛2000ギニーとG1・セントジェームズパレスステークスを連勝し、一躍主役に躍り出た。しかし体調不良と道悪を嫌う気性により、夏以降は休養入り。4歳となった今年、大きな期待を背負って再始動を迎える。
ロザリオンが不在の間も、レヴィーの勢いは衰えなかった。その象徴が、オブライエン厩舎のヤンブリューゲルで掴んだG1・セントレジャーの勝利だ。レヴィーにとっては特別な意味を持つこの勝利が、高まる評価にさらなる重みを与えた。
「エイダン(・オブライエン)には本当に良くしてもらいました」とレヴィーは振り返る。
「見習いの減量がまだ残っているうちに、すでにアイルランドのクラシック全てに乗せてもらっていたんです。凱旋門賞やイギリスの主要G1にも遠征して、自然と大舞台に慣れましたし、ずっとそういうところで勝てる馬に乗りたいと思っていました」
「バリードイル在籍中にG1を勝てなかったのは心残りでした。ですが、いつか彼の馬に乗って大きな舞台で勝ちたいと思っていたので、こうしてセントレジャーを勝てたことは本当に嬉しかったです」

レヴィーはスワジランド(現エスワティニ)で生まれ、12歳までその地で育った。その後、亡き父ミックの故郷であるアイルランドへと一家で移住する。
「素晴らしい環境で育ちました。スワジランドの文化に囲まれて、自分の意志で馬に関わるようになったんです」と語るレヴィーだが、実は父のミックも元騎手で、調教師やブックメーカーとしても活動していた。
「子供の頃、家に馬はいたんですが、僕が乗れるようになる頃にはもういなくなってました。ある日、友達と一緒に厩舎に行って、そこから全てが動き出しました。もちろん、父のアドバイスもあって、他の人より早く上達できたと思います。すごく楽しかったですね」
「スワジランドには競馬が無かったので、障害飛越や馬術競技から乗馬のキャリアをスタートしました。当時、父はどちらかというとボクシングに夢中で、馬との日々は兄弟たちとの趣味でした。正直、その頃は競馬には全然興味がなかったですし、知識もほとんどありませんでした」
しかしアイルランドに移ってからは、父が世界的名門厩舎のバリードイルで働くようになり、流れが変わる。
「14~15歳の頃には、週末にエイダン・オブライエン厩舎で乗り始めました。そして、その縁でバリナスローでの夏合宿に参加し、ポニー競馬に出走するようになったんです」
「初めて行った厩舎がエイダンのところだったので、『どこの厩舎もこういうものなんだ』って思ってたんです。後になって、なぜバリードイルが世界一の厩舎なのかわかりました」
2005年、見習い騎手としてデビューした初年度は16鞍で1勝。アイルランドでのキャリアは2010年末まで続き、通算46勝を挙げた。その間、年間一桁勝利のシーズンが続いたが、最後の年には16勝をマークした。
そこから舞台をイングランドに移し、ノースヨークシャーのデビッド・オメーラ厩舎に所属。当時、厩舎の主戦はシルヴェストル・デソウサ騎手が務めていたが、レヴィーは所属外の厩舎からの騎乗依頼を中心に1年目から34勝を挙げた。
「何百回もやめようと思いましたよ」とレヴィーは本音を漏らす。「アイルランドにいた見習い時代も含めて、『これは自分に向いてないかもしれない』って思うことはしょっちゅうありました。高校も3年で辞めたんですが、戻ろうと思えば戻ることが出来たし、戻ろうかと悩んだこともあります。正直、どの騎手も似たような経験があると思いますよ」
「この世界で成功するのは本当に難しいんです。この仕事には二つの真理があります。自分がなりたいと思うほどうまくなることが出来るという考えと同時に、どれだけ技術があっても良い馬に乗るチャンスがなければ、結果なんて出ないという考え方です」
そんなレヴィーに転機が訪れたのは、イングランド南部ウィルトシャーにあるハノン厩舎に移ったときだった。彼のキャリアにおいて『何か』がようやく動き始めたのだった。
「リチャード・ハノン厩舎で働いていた友人、キーラン・オニールの紹介で、ふらりと立ち寄って乗せてもらったのが始まりでした。厩舎も大きくて、すごく自分に合っている気がしたんです。ちょうど減量特典も残っていたので、『ここで見習いを終えたい』とお願いしたら、受け入れてもらえました」
それが現在まで続くハノンJr.調教師とのパートナーシップの始まりだった。ハノンJr.の方針は「その時に使える一番の騎手を使う」ことだ。その多くの場面で白羽の矢が立ったのがレヴィーである。
「もちろんオーナーの意向が最優先です。でも、ありがたいことに、ほとんどのオーナーさんが僕を応援してくれているんです」
中でも大きな信頼を寄せてくれているのが、ロザリオンの馬主であるオバイド殿下だ。2歳時のG1・ジャンリュックラガルデール賞、3歳でのG1・愛2000ギニー、そしてG1・セントジェームズパレスS、レヴィーはチャンピオンマイラー候補として注目される良血馬・ロザリオンの7戦すべてで手綱を取り、5勝を挙げてきた。
今週末のG1・ロッキンジステークスでは、ライバルのノータブルスピーチとの3度目の対戦が控えている。英2000ギニーではノータブルスピーチに屈したものの、続くアスコットではロザリオンが雪辱。1勝1敗のタイで迎える決戦となる。
昨年7月のG1・サセックスステークスでは、ロザリオンが発熱で回避。代わってゴドルフィンのノータブルスピーチがその栄冠を手にした。今回が真の決着となるか。
「ロザリオンの瞬発力は、本当に特別です。これまで乗った中でも、たぶん一番速いマイラーでしょう」
「でも去年から時間も経っていますし、他にも力を示してきた馬がいます。ロザリオンも順調ですが、やはり答えが出るのはレース当日。ロッキンジSは相当にレベルの高い一戦になりそうです」
今のレヴィーにとって、そんなG1の舞台こそが『日常』となっている。
「G1を勝てるようになってから、すごく気持ちに余裕が持てるようになりました。いい馬に乗れるのは本当に幸せなことですし、大きな舞台に立てることが心から楽しいんです」
「でも同時に、そんな馬は毎年いるわけじゃないということも分かっています。だからこそ、巡り合えたときは存分に楽しみたいですし、いないときは次の馬を探すだけです。そこが競馬の面白さですよね」
そう言ってレヴィーは微笑んだ。ロザリオンとの再始動、そして競馬人生の次章へ。
「簡単じゃないからこそ、競馬は面白い。そして僕は、その面白さを生きているんです」